新山城
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新山城 (島根県) | |
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別名 | 真山城 |
城郭構造 | 連郭式山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 平忠度か |
築城年 | 平安末期か |
主な改修者 | 吉川元春 |
主な城主 | 平忠度、吉川元春、多賀元信、尼子勝久、毛利氏 |
廃城年 | 慶長5年(1600年) |
遺構 | 郭、石垣、堀、土橋? |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯35度30分31.51秒 東経133度3分16.73秒 / 北緯35.5087528度 東経133.0546472度座標: 北緯35度30分31.51秒 東経133度3分16.73秒 / 北緯35.5087528度 東経133.0546472度 |
地図 |
新山城(しんやまじょう)、または真山城は、島根県松江市法吉町にあった日本の城。
概要
[編集]新山城は北山山脈の山間に位置し、山麓の白鹿城はもちろんのこと、宍道湖から中海まで、広く眺望が効く立地である。
平安末期平忠度により築城されたと伝わるが、毛利氏の白鹿城攻めの際に吉川元春が改修して陣を布き、現在の姿になった。書によっては、「真山」とも表記されている。
白鹿城落城後、毛利氏は白鹿城を廃止し、新山城に拠った。一時は山中幸盛率いる尼子残党に奪われたが、その間を除き、慶長5年の関ヶ原の戦い後に廃止されるまで毛利氏が維持した。
遺構
[編集]現在は山頂部から白鹿城のある南へ向かって階段状に郭が残り、小規模な石積も残っている。山頂本丸跡には、尼子勝久の碑も建てられている。
沿革
[編集]- 築城時期は平安末期か。
- 1563年(永禄6年)吉川元春が白鹿城攻めの陣を布き、同城落城後には多賀元信が入城。
- 1569年(永禄12年)尼子勝久を戴いた尼子残党が入城。
- 1571年(元亀2年)尼子勝久、毛利氏との戦いに敗れ没落。
- 1600年(慶長5年)関ヶ原の戦い後、毛利氏が周防・長門二国に減封され、廃城。