新宿劇場
種類 | 事業場 |
---|---|
市場情報 | 消滅 |
本社所在地 |
日本 東京府豊多摩郡淀橋町大字角筈1番地(現在の東京都新宿区新宿3丁目37番12号) |
設立 |
1929年 (第一次) 1953年 (第二次) |
業種 | サービス業 |
事業内容 | 映画の興行 |
代表者 |
阪間好之助 (第一次) 林以文 (第二次) |
主要株主 |
第一次 マキノ・プロダクション 第二次 惠通企業 |
関係する人物 | 牧野省三 |
特記事項:略歴 1929年 第一次開業 1944年 第一次閉館 1953年 第二次開業 1970年 第二次閉館 |
新宿劇場(しんじゅくげきじょう)は、かつて東京・新宿にあった映画館である[1][2][3][4]。1929年(昭和4年)にマキノキネマ直営(経営マキノキネマ関東配給所)の映画館として、新宿駅東口に新築・開業した(第一次)[1][2][4]。
第二次世界大戦後、1953年(昭和28年)に新宿・歌舞伎町に新築・開業した同名の映画館(第二次)についても本項で詳述する[5][6][7][8]。
沿革
[編集]- 1929年 - 新宿駅東口に新築・開業(第一次)[1][2][4]
- 1944年 - 強制疎開により閉館・取り壊し[9]
- 1953年 - 新宿・歌舞伎町に新築・開業(第二次)[5][6][7]
- 1970年 - 閉館
- 1971年 - 第二次跡地に新宿ジョイパックビル(現在のヒューマックスパビリオン新宿歌舞伎町)開業[5]
- 1999年 - 第一次跡地に新宿野和ビル開業[10]
データ
[編集]第一次
[編集]北緯35度41分24.93秒 東経139度42分4.47秒 / 北緯35.6902583度 東経139.7012417度
第二次
[編集]北緯35度41分44.71秒 東経139度42分5.22秒 / 北緯35.6957528度 東経139.7014500度
概要
[編集]第一次
[編集]1929年(昭和4年)7月25日の牧野省三の没後の同年12月末、マキノ・プロダクション直営の東京の映画館として、東京府豊多摩郡淀橋町角筈1番地(現在の東京都新宿区新宿3丁目37番地12号あたり)に新たに建設され、開館した[1][2][4]。開館番組は、同社御室撮影所が製作した『続影法師 狂燥篇』(監督二川文太郎)、『四谷六法 白柄組』(監督中島宝三)で、同年12月31日に同館を全国公開の一番手として公開した[12][13]。同2作は同社の正月番組であり、翌1930年(昭和5年)以降、同館は、同社のフラッグシップ館となり、ほとんどの作品を全国公開の一番手として公開した[14][15]。『日本映画事業総覧 昭和五年版』によれば、同年当時の同館は、当時の観客定員数は458名、興行系統はマキノ、経営は「マキノ關東社」(マキノキネマ関東配給所、代表阪間好之助)、支配人は高橋秀忠であった[1]。
開館当初の新宿駅近辺は、同じ角筈地区に洋画の独立系ロードショー館として知られる武蔵野館(現在の新宿武蔵野館)、東亜キネマ・帝国キネマ系統の独立館の新生館、西口の柏木地区に当時日活系統の独立館だった成子不二館(のちの成子映画劇場)、と同館を含めて4館しか存在していなかった[1]。同館が新築・落成する1年前の1928年(昭和3年)12月、武蔵野館が新宿通り沿いから現在の場所に移転、新築・落成しており[16]、新宿劇場はこれに対して対抗的な立地を選んだ。『日本映画事業総覧 昭和五年版』によれば、同年6月現在、東京市内には、浅草公園六区の千代田館(阪間商事経営)、鳥越の鳥越キネマ(島崎大作個人経営)、日本橋の魚河岸キネマ(阪間商事経営)、銀座のシネマ銀座およびグランドキネマ(いずれも大蔵興行部経営)、月島の築島館(鈴木幸八個人経営)、千駄木の芙蓉館(阪間商事経営)、小石川の傳通館(加藤作治個人経営)、荒木町の四谷日活館(日活経営)、麻布の六本木松竹館(大蔵興行部経営)、芝の愛宕キネマ(高橋美家太郎個人経営)と芝浦キネマ(阪間商事経営)、本所の業平座(阪間商事経営)等があった[17]。同年7月には、浅草公園六区の遊楽館がマキノ系統の封切館に加わっている[4]。
しかしながら、省三の没後の新体制下のマキノ・プロダクションは財政が悪化し、1931年(昭和6年)4月以降、製作が停止する[18]。同年4月24日に同館が全国公開の一番手として公開した『京小唄柳さくら』(監督金森萬象)が、同社の最後の製作物となった[15]。
マキノ・プロダクション解散後の同館の経営主体については不明であるが、同年6月26日には帝国キネマ演芸が製作・配給した『愛すべく』(監督鈴木重吉)、同年翌月の7月14日には、不二映画社が製作・配給した『緑の騎手』(監督中村能二)がそれぞれ全国公開の一番手として公開・上映された記録が残っている[19][20]。
その後、第二次世界大戦が開始され、1942年(昭和17年)には戦時統制が敷かれ、日本におけるすべての映画が同年2月1日に設立された社団法人映画配給社の配給により、すべての映画館が紅系・白系の2系統に組み入れられるが、『映画年鑑 昭和十七年版』によれば、同年当時の同館は、当時の観客定員数は438名、経営は鈴木幸八の個人経営、支配人は藤田一郎、白系の配給系統に入った[3]。鈴木幸八は、大都映画設立時の専務取締役であり[21]、同年当時は、月島の築島館・築島映画劇場、木場に木場東宝映画劇場(かつての木場電気館)を同館のほかに経営していた個人館主である[3][22][23]。『映画年鑑 昭和十八年版』によれば、1943年(昭和18年)には、同館の経営が鈴木から田村益喜に変更になっている[23]。戦局が深まった1944年(昭和19年)4月、第二次強制疎開により閉館になり、取り壊された[9]。
1999年(平成11年)、跡地に新宿野和ビルが開業し、現在に至る[10]。同地は新宿武蔵野館を経営する武蔵野興業が所有し、同ビルに賃貸している[10]。
第二次
[編集]第二次世界大戦後、かつて東京府立第五高等女学校(移転して現在の東京都立富士高等学校)のあった地区(歌舞伎町)を開発することになり、林以文が1947年(昭和22年)12月に新宿地球座を開館している[5]。翌1948年(昭和23年)5月に林が設立した惠通企業(現在のヒューマックス)が、1953年(昭和28年)1月2日、新宿区歌舞伎町879番地(現在の歌舞伎町1丁目20番1号)に新たに建設され、開館したのが、戦後の「新宿劇場」(第二次)である[5][6][7][24][25]。当初は、演劇等の上演も行われ、古川ロッパらも出演した[6][7][25]。林以文は、地球座に着手した年の4月に、新宿ムーランルージュの再建を手がけてたが、1951年(昭和26年)5月には閉館している[5][26]。その2年後に新たに建てたこの新宿劇場の屋根には、開業当初はなかったが[7]、翌年には、新宿ムーランルージュの名物であったものを模した風車が取りつけられた[7][8]。やがて、洋画ロードショー館として定着した[7][8]。
新宿歴史博物館が公開している写真『歌舞伎町(コマ劇場、新宿劇場前)』に写る同館では、『恋人たち』(監督ルイ・マル、1959年4月24日日本公開[27])、『狂った本能』(監督エドモン・T・グレヴィル、1959年6月10日日本公開[28])が上映され[8]、右の写真では、『墓にツバをかけろ』(監督ミシェル・ガスト、1960年1月29日日本公開[29])、『学生たちの道』(監督ミシェル・ボワロン、1959年12月1日日本公開[30])が上映されている。これら4本はいずれも配給は映配(代表塩次秀雄)であり、独立系のヨーロッパ映画配給会社の作品が多く上映された[27][28][29][30]。
また1960年代には、70mm映画の設備も導入して、「偉大な生涯の物語」等の大作も上映していた。
1970年(昭和45年)閉館。1971年(昭和46年)10月、跡地に新宿ジョイパックビルが建った[5]。のちにヒューマックスパビリオン新宿歌舞伎町と名称を変更した[5]。
先行して開業し同館に隣接していた新宿地球座、その後継館であった新宿ジョイシネマ(歌舞伎町1丁目21番7号)は、1984年(昭和59年)以降に最大5スクリーンを誇ったが、最終的に3スクリーンとなり、2009年(平成21年)5月31日に全スクリーン閉館、歌舞伎町地区にヒューマックスが経営する映画館はすべて消滅した[24][31]。
フィルモグラフィ
[編集]日本映画データベースに掲載された作品のうち、同館が全国公開の一番手として位置し、公開館として特筆して記録されている全作品の一覧である[14][15]。「全国公開の一番手」以外の位置づけでの上映作品は、膨大であるため省略した。公開日の右側には、東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[32][33]。
マキノプロダクション御室撮影所
[編集]特筆以外すべて製作は「マキノプロダクション御室撮影所」、配給は「マキノキネマ」であり、すべてサイレント映画、1929年末 - 1931年の間に「新宿劇場」で公開された作品である[14][15]。
- 『続影法師 狂燥篇』 : 監督二川文太郎、主演沢村国太郎・マキノ智子、1929年12月31日公開[12] - 『続影法師』題・5分尺の断片が現存(マツダ映画社所蔵[33])
- 『四谷六法 白柄組』 : 監督中島宝三、主演谷崎十郎、1929年12月31日公開[13]
- 『天保水滸伝』 : 監督押本七之輔、主演谷崎十郎、1930年1月5日公開
- 『職工慰安会』 : 監督神田金太郎(芝蘇呂門)、主演中根龍太郎・都賀静子、1930年1月5日公開
- 『特急本塁打』 : 監督三上良二、主演根岸東一郎、1930年1月10日公開
- 『松竹梅女三勇士』 : 監督中島宝三、主演マキノ智子、1930年1月10日公開
- 『夫婦』 : 監督人見吉之助、主演秋田伸一・岡島艶子、1930年1月15日公開
- 『花暦三人吉三』 : 監督吉野二郎、主演沢村国太郎、1930年1月15日公開
- 『風雲児』 : 監督金森万象、主演南光明、1930年1月24日公開
- 『相馬の金さん』 : 監督阪田重則、主演谷崎十郎、1930年1月31日公開
- 『母校の名誉』 : 監督川浪良太、主演東郷久義、1930年1月31日公開
- 『俺は天才』 : 監督滝沢英輔、主演杉狂児、1930年2月7日公開
- 『情恨』 : 監督並木鏡太郎、主演南光明、1930年2月7日公開
- 『運命線上に躍る人々』 : 監督マキノ正博・久保為義、主演横沢四郎、1930年2月14日公開
- 『慶安太平記』 : 監督押本七之輔、主演南光明、1930年2月14日公開
- 『オイコラ行進曲 湯煙り長屋合戦の巻』 : 監督松田定次、主演根岸東一郎・マキノ智子、1930年2月21日公開
- 『総動員』 : 監督川浪良太、主演大貫憲二、1930年2月21日公開
- 『人斬伊太郎』 : 監督並木鏡太郎、主演谷崎十郎、1930年2月28日公開 - 『人斬り伊太郎』題・10分尺で現存(マツダ映画社所蔵[33])
- 『祇園小唄絵日傘 第一話 舞の袖』 : 監督金森万象、主演秋田伸一、1930年2月28日公開 - 『絵日傘 第一話 舞ひの袖』題・53分尺で現存(NFC所蔵[34])
- 『祇園小唄絵日傘 第二話 狸大尽』 : 監督金森万象、主演沢村国太郎、1930年2月28日公開 - 『祇園小唄繪日傘 第二話 狸大尽』題・8分尺で現存(NFC所蔵[32])
- 『変幻女六部』 : 監督吉野二郎、主演松浦築枝、1930年3月7日公開
- 『草に祈る』 : 監督三上良二、主演津村博、1930年3月7日公開
- 『祇園小唄絵日傘 第三話 草枕』 : 監督金森万象、主演津村博・マキノ智子、1930年3月14日公開
- 『日本巌窟王 前篇』 : 監督中島宝三、主演河津清三郎、1930年3月14日公開
- 『父』 : 監督稲葉蛟児、主演マキノ智子・荒木忍、1930年3月21日公開
- 『二刀流遍路 前篇』 : 監督勝見正義、主演谷崎十郎・大林梅子、1930年3月21日公開
- 『二刀流遍路 後篇』 : 監督勝見正義、主演谷崎十郎・大林梅子、1930年3月28日公開
- 『偽婚真婚』 : 監督久保為二(久保為義)・マキノ正博、主演秋田伸一、1930年3月28日公開
- 『日本巌窟王 後篇』 : 監督中島宝三、主演河津清三郎、1930年4月4日公開
- 『白銀の丘』 : 監督川浪良太、主演横沢四郎、1930年4月4日公開
- 『学生三代記 天保時代』 : 監督阪田重則・松田定次・三上良二、主演根岸東一郎、1930年4月10日公開
- 『学生三代記 明治時代』 : 監督マキノ正博・阪田重則・並木鏡太郎・久保為義、主演南光明、1930年4月10日公開
- 『学生三代記 昭和時代』 : 監督マキノ正博・川浪良太・滝沢英輔、主演大貫憲二、1930年4月10日公開 - 16分尺で現存(NFC所蔵[32])
- 『吹雪の一夜』 : 監督稲葉蛟児、主演秋田伸一、1930年4月10日公開
- 『かまいたち』 : 監督押本七之輔、主演沢村国太郎・マキノ智子、1930年4月18日公開
- 『恋愛病者』 : 監督人見吉之助、主演秋田伸一・岡島艶子、1930年4月25日公開
- 『次郎長旅日記 第一篇』 : 監督吉野二郎、主演南光明・松浦築枝、1930年4月25日公開
- 『本朝野士縁起 第一篇』 : 監督中島宝三、主演小金井勝、1930年5月1日公開
- 『常陸丸』 : 監督阪田重則、主演東郷久義、1930年5月1日公開
- 『悪に咲く華』 : 監督川浪良太、主演砂田駒子・孫孝雄、1930年5月8日公開
- 『呑福大恋愛』 : 監督二川文太郎、主演中根龍太郎・桜木梅子、1930年5月8日公開
- 『湖畔の家』 : 監督金森万象、主演荒木忍・都賀静子、1930年5月16日公開
- 『永遠の母』 : 監督久保為義、主演松浦築枝・飯田英二、1930年5月16日公開
- 『光を求めて』 : 監督勝見正義、主演沢村国太郎、1930年5月16日公開
- 『かげろう噺』 : 監督並木鏡太郎、主演河津清三郎・大林梅子、1930年5月23日公開
- 『砲声轟く』 : 監督三上良二、主演速見稔、1930年5月23日公開
- 『敗者の恨は長し』 : 監督稲葉蛟児、主演松浦築枝・秋田伸一、1930年5月30日公開
- 『女性の輝き』 : 監督衣笠貞之助、主演市川猿之助・マキノ富栄、1930年5月30日公開
- 『吉原百人斬』 : 監督中島宝三、主演小金井勝・松浦築枝、1930年6月6日公開
- 『百パーセント結婚』 : 監督人見吉之助、主演秋田伸一・泉清子、1930年6月6日公開
- 『煉獄二道』 : 監督吉野二郎、主演市川米十郎、1930年6月13日公開
- 『笑へぬ凱歌』 : 監督滝沢英輔、主演大貫憲二、1930年6月13日公開
- 『藤馬は強い』 : 監督勝見正義、主演谷崎十郎、1930年6月20日公開
- 『南極に立つ女』 : 監督滝沢英輔、主演砂田駒子・津村博、1930年6月20日公開
- 『熊本城非常警砲』 : 監督中島宝三、主演南光明、1930年7月1日公開
- 『メリケンジャプ』 : 監督・主演勝見庸太郎、製作勝見庸太郎プロダクション、1930年7月1日公開
- 『少年戦線』 : 監督三上良二、主演水谷正一、1930年7月6日公開 - 『改訂 少年戰線』題・62分尺で現存(NFC所蔵[32])
- 『近世毒婦伝 明治五人女』 : 監督吉野二郎、主演浦路輝子・桂武男、1930年7月6日公開
- 『嬰児殺し』 : 監督マキノ正博・久保為義、主演マキノ智子・荒木忍、1930年7月13日公開
- 『腹の立つ忠臣蔵』 : 監督久保為義・マキノ正博、主演中根龍太郎、1930年7月13日公開
- 『海辺のローマンス』 : 監督・主演勝見庸太郎、製作勝見庸太郎プロダクション、1930年7月20日公開
- 『盲目の弟』 : 監督二川文太郎、主演南光明、1930年8月1日公開
- 『ぶらいかん長兵衛』 : 監督並木鏡太郎、主演谷崎十郎・都賀静子、1930年8月1日公開
- 『怪談累ヶ淵』 : 監督二川文太郎、主演沢村国太郎、1930年8月15日公開
- 『琵琶湖シャンソン』 : 監督・主演根岸東一郎、共演砂田駒子、1930年8月15日公開
- 『スヰートピー』 : 監督人見吉之助、主演秋田伸一・泉清子、1930年8月22日公開
- 『祐天吉松』 : 監督吉野二郎、主演小金井勝、1930年8月22日公開
- 『スタヂオ殺人事件』 : 監督水上譲太郎、主演中根龍太郎、1930年8月29日公開
- 『恋寝刃 伊勢音頭』 : 監督勝見正義、主演沢村国太郎、1930年8月29日公開
- 『お化同心』 : 監督滝沢英輔、主演沢田敬之助・市川米十郎、1930年9月5日公開
- 『アイスクリーム』 : 監督中島宝三、主演秋田伸一、1930年9月5日公開
- 『シボレー恋をのせて』 : 監督人見吉之助、主演中根龍太郎・砂田駒子、1930年9月12日公開
- 『野狐三次』 : 監督吉野二郎、主演沢村国太郎・桜木梅子、1930年9月12日公開
- 『浮世絵双紙』 : 監督中島宝三、主演沢田敬之助・三保松子、1930年9月20日公開
- 『紅燈一代女』 : 監督久保為義・根岸東一郎・マキノ正博、主演マキノ智子、1930年9月20日公開
- 『膝栗下木曽街道』 : 監督金森万象、主演中根龍太郎、1930年9月26日公開
- 『進軍喇叭』 : 監督阪田重則、主演荒木忍・三保松子、1930年9月26日公開
- 『須磨の仇浪』 : 監督三上良二、主演東郷久義・三保松子、1930年10月3日公開
- 『浜松屋 弁天小僧』 : 監督吉野二郎、主演沢村国太郎、1930年10月3日公開
- 『侠艶三人女 お葉の巻 お良の巻 幾松の巻』 : 監督中島宝三・根岸東一郎・金森万象・マキノ正博、主演松浦築枝、1930年10月17日公開
- 『街の洒落男』 : 監督稲葉蛟児、主演津村博・砂田駒子、1930年10月31日公開
- 『伽羅先代萩』 : 監督吉野二郎、主演南光明・松浦築枝、1930年10月31日公開
- 『鬼薊就縛』 : 監督根岸東一郎、主演沢村国太郎・桜木梅子、1930年11月7日公開 - 84分尺で現存(NFC所蔵[32])
- 『感情を遊ぶ女』 : 監督人見吉之助、主演砂田駒子・児島武彦、1930年11月7日公開
- 『信州侠客伝』(『兇状旅信州路』[32]) : 監督中島宝三、主演市川米十郎、1930年11月14日公開 - 『兇状旅信州路』題・70分尺で現存(NFC所蔵[32])
- 『潜行戦線』 : 監督滝沢英輔、主演秋田伸一、1930年11月14日公開
- 『中山七里』 : 監督並木鏡太郎、主演沢村国太郎・松浦築枝、1930年11月21日公開 - 55分尺で現存(マツダ映画社所蔵[33])
- 『嵐山小唄 しぐれ茶屋』 : 監督金森万象、主演秋田伸一、1930年11月21日公開
- 『やきもち合戦』 : 監督三上良二、主演中根龍太郎・浦路輝子、1930年12月5日公開
- 『破恋痴外道』 : 監督二川文太郎、主演小金井勝・大林梅子、1930年12月5日公開
- 『こんな奴を警戒しろ』 : 監督稲葉蛟児、主演横沢四郎、1930年12月12日公開
- 『続お洒落狂女』 : 監督吉野二郎、主演マキノ智子・南光明、1930年12月19日公開
- 『快男子』 : 監督柏木一雄、主演東郷久義、1930年12月19日公開
- 『里見八剣伝』 : 監督吉野二郎、主演沢村国太郎、1931年1月5日公開
- 『呑気放亭』 : 監督根岸東一郎、主演中根龍太郎、1931年1月10日公開
- 『真田十勇士』 : 監督金森万象・稲葉蛟児・滝沢英輔・三上良二・久保為義、主演南光明、1931年1月15日公開
- 『幕末風雲記 堀新兵衛の巻 新門辰五郎の巻 清水次郎長の巻』 : 監督マキノ正博・稲葉蛟児・久保為義、主演市川米十郎、1931年1月30日公開
- 『落第坊主』 : 監督水上譲太郎、主演中根龍太郎、1931年1月30日公開
- 『大学の鉄腕児』 : 監督柏木一夫(柏木一雄)、主演東郷久義、1931年2月6日公開
- 『マキノ大行進』 : 製作マキノ正博、原案阪間好之助、1931年2月6日公開
- 『処女爪占師』 : 監督吉野二郎、主演松浦築枝、1931年2月13日公開
- 『まだら蜘蛛』 : 監督勝見正義、主演谷崎十郎・マキノ智子、1931年2月20日公開
- 『赤鞘安兵衛』 : 監督滝沢英輔、主演小金井勝、1931年2月27日公開
- 『血ろくろ伝記 前篇』 : 監督金森万象、主演荒木忍、1931年3月6日公開 - 『血ろくろ傳奇』題・65分尺で現存(NFC所蔵[32]) / 54分尺で現存(マツダ映画社所蔵[33])
- 『当世五人男 黒田健次血戦篇』 : 監督根岸東一郎、主演東郷久義、1931年3月6日公開
- 『紅蝙蝠』 : 監督勝見正義、主演沢村国太郎、1931年3月13日公開
- 『浪人太平記』 : 監督マキノ正博、主演南光明、1931年3月19日公開
- 『泥だらけの天使』 : 監督マキノ正博、主演孫孝雄、1931年3月19日公開
- 『塩原多助』 : 監督吉野二郎、主演桂武男、1931年3月27日公開
- 『片手無念流 前篇』 : 監督根岸東一郎、主演小金井勝、1931年4月3日公開
- 『三日月次郎吉』 : 監督吉野二郎、主演谷崎十郎、1931年4月17日公開
- 『京小唄柳さくら』 : 監督金森万象、主演室町栄二郎、1931年4月24日公開
マキノ以降
[編集]特筆以外はすべてサイレント映画である。
- 『愛すべく』 : 監督鈴木重吉、主演英百合子・津村博、製作・配給製作・配給帝国キネマ演芸、1931年6月26日公開[19]
- 『緑の騎手』 : 監督中村能二、主演月田一郎・鈴木伝明、製作・配給不二映画社、1932年7月14日公開 - 同時封切日本館[20] - 45分尺で現存(マツダ映画社所蔵[33])
- 『鉄の爪』 : 監督後藤岱山、主演椿三四郎、製作・配給エトナ映画社、トーキー、1935年1月31日公開 - 『鐡の爪 花嫁掠奪篇 完結篇』題・45分尺で現存(NFC所蔵[32])
- 『黄金菩薩剣』 : 監督稲葉蛟児、主演綾小路絃三郎、製作・配給エトナ映画社、1935年2月14日公開
- 『忠臣蔵』 : 監督白井戦太郎、主演阿部九州男、製作・配給大都映画、解説版、1937年3月16日公開 - 同時封切浅草大都劇場
- 『日本一の殿様』 : 監督萩原遼、主演小笠原章二郎、製作東宝映画京都撮影所、配給東宝映画、トーキー、1937年12月8日公開
- 『呪ひの銀猫』 : 監督山田兼則、主演天津竜太郎、製作・配給全勝キネマ、解説版、1939年3月30日公開
- 『蝙蝠安』 : 監督金田繁、主演松本栄三郎、製作・配給全勝キネマ、解説版、1939年4月13日公開
- 『魔剣の渦巻』 : 監督橋本松男、主演大河内龍、製作・配給全勝キネマ、解説版、1939年4月20日公開
- 『棟木の由来 三十三間堂』 : 監督佐藤樹一郎、主演松本栄三郎、製作・配給全勝キネマ、解説版、1939年4月21日公開
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 総覧[1930], p.554.
- ^ a b c d 石割[2000], p.415.
- ^ a b c d e 年鑑[1942], p.10-35.
- ^ a b c d e 国民[1931], p.474-475.
- ^ a b c d e f g h i 沿革、ヒューマックス、2013年7月11日閲覧。
- ^ a b c d e 大笹[2001], p.390.
- ^ a b c d e f g h i キネ旬[2010], p.52, 56-59.
- ^ a b c d データベース 写真で見る新宿 - 歌舞伎町(コマ劇場、新宿劇場前)、新宿歴史博物館、2013年7月11日閲覧。
- ^ a b 倉林[1969], p.3.
- ^ a b c 第140期有価証券報告書、武蔵野興業、2013年7月11日閲覧。
- ^ ヒューマックスパビリオン新宿歌舞伎町、ヒューマックス、2013年7月11日閲覧。
- ^ a b 続影法師 狂燥篇、日本映画データベース、2013年7月11日閲覧。
- ^ a b 四谷六法 白柄組、日本映画データベース、2013年7月11日閲覧。
- ^ a b c 1930年 公開作品一覧 637作品、日本映画データベース、2013年7月11日閲覧。
- ^ a b c d 1931年 公開作品一覧 591作品、日本映画データベース、2013年7月11日閲覧。
- ^ 国民[1930], p.445.
- ^ 総覧[1930], p.551-553.
- ^ 御室撮影所、立命館大学、2013年7月11日閲覧。
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- ^ 年鑑[1942], p.10-29.
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- ^ a b 歌舞伎町に風穴あくか 新宿ジョイシネマ閉館 コマ跡地も白紙、東京新聞、2009年5月30日付、2013年7月11日閲覧。
- ^ a b 古川[2007], p.10.
- ^ ムーラン・ルージュ新宿座、新宿大通商店街振興組合、2013年7月11日閲覧。
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- ^ a b 狂った本能 - KINENOTE、2013年7月12日閲覧。
- ^ a b 墓にツバをかけろ - KINENOTE、2013年7月12日閲覧。
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- ^ 新宿ジョイシネマ1・2・3、港町キネマ通り、2013年7月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年7月11日閲覧。
- ^ a b c d e f 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年7月11日閲覧。
- ^ 日本映画の発見I 無声映画時代、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年7月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日本映画事業総覧 昭和五年版』、国際映画通信社、1930年発行
- 『国民年鑑 昭和五年版』、国民新聞社、啓成社、1930年発行
- 『国民年鑑 昭和六年版』、国民新聞社、啓成社、1931年発行
- 『映画年鑑 昭和十七年版』、日本映画協会、1942年発行
- 『映画年鑑 昭和十八年版』、日本映画協会、1943年発行
- 『日本映画発達史 II 無声からトーキーへ』、田中純一郎、中央公論社、1957年 / 中公文庫、1976年1月10日 ISBN 4122002966
- 『新劇年代記 戦中編』、倉林誠一郎、白水社、1969年
- 『日本映画興亡史 マキノ一家』、石割平、ワイズ出版、2000年、ISBN 4898300243
- 『日本現代演劇史 昭和戦後篇 II』、大笹吉雄、白水社、2001年10月 ISBN 4560035644
- 『古川ロッパ昭和日記 晩年篇 昭和28年‐昭和35年』、古川ロッパ、晶文社、2007年5月1日 ISBN 4794930194
- 『映画館のある風景 昭和30年代盛り場風土記・関東篇』、キネマ旬報社、2010年3月26日 ISBN 4873763258
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- データベース 写真で見る新宿 - 新宿歴史博物館(『歌舞伎町(コマ劇場、新宿劇場前)』1959年、写真ID : 2181)
- ヒューマックスパビリオン新宿歌舞伎町 - ヒューマックス