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斎藤利賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
斎藤 利賢
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正14年5月23日1586年7月9日
別名 右衛門尉
戒名 金粟院殿雲洞宗暁禅定門
官位 伊豆
主君 土岐頼芸
氏族 斎藤氏
父母 父:斎藤利匡、母:稲葉通以
兄弟 明智光安
前妻:蜷川親順
後妻:明智光継
石谷頼辰利三斎藤三続
蜷川親長室、
養子:斎藤親三蜷川親世の子)
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斎藤 利賢(さいとう としかた) は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。通称は右衛門尉[1]春日局の祖父であり初代小田原藩主・稲葉正勝の曽祖父。美濃国白樫城主。

父は斎藤利匡。軍記・史書・系図等では斎藤和泉守利胤[2](または長井斎藤利安[1])。母は稲葉備中守通以(越智)女[2]。妹に明智光安[2]。室は前妻に足利義輝の重臣蜷川親順の娘(蜷川親世の妹、後に離縁して石谷光政室)、後妻は明智光継(宗善)の娘[2]。子に石谷頼辰[2]利三[2]など。

美濃明細記』によれば、斎藤道三に父親を殺されたため仇討ちを計画したが、土岐頼芸に反対されたため白樫城に蟄居したという。

子らは明智光秀の重臣となったが、利三は本能寺の変後に刑死、石谷頼辰は土佐国に赴き親族の長宗我部氏に仕えた。

脚注

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  1. ^ a b 『美濃明細記』
  2. ^ a b c d e f 『美濃国諸家系譜』