文室真屋麻呂
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時代 | 奈良時代 - 平安時代初期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 正四位下・宮内大輔 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇 |
氏族 | 文室真人→三諸朝臣→三山朝臣→文室朝臣 |
父母 | 父:文室浄三 |
兄弟 |
沢王、与伎、真屋麻呂、三諸大原、 岡屋王妃 |
文室 真屋麻呂(ふんや の まやまろ)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族。氏姓は文室真人のち三諸朝臣、三山朝臣、文室朝臣。大納言・文室浄三の子。官位は正四位下・宮内大輔。
経歴
[編集]延暦3年(784年)従五位下に叙爵。延暦5年(786年)6月に少納言に任ぜられるが、早くも10月には右大舎人頭に転じる。その後、桓武朝前半は治部少輔・主馬頭と京官を歴任する。延暦10年(791年)但馬介に任官し、地方官に遷る。その後、時期は明らかでないが、文室真人から三諸朝臣に改姓し、従五位上に叙せられる。
延暦16年(797年)右大舎人頭、延暦18年(799年)宮内大輔と桓武朝後半は再び京官を歴任する。
平城朝に入ると昇進を果たし、大同3年(808年)には従四位上に叙せられる。また、大同4年(809年)には三諸朝臣から三山朝臣、文室朝臣と続けて改姓している。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 延暦3年(784年) 正月7日:従五位下
- 延暦5年(786年) 6月9日:少納言。10月8日:右大舎人頭
- 延暦6年(787年) 3月22日:治部少輔
- 延暦8年(789年) 8月12日:主馬頭
- 延暦10年(791年) 6月5日:但馬介
- 延暦11年(792年) 日付不詳:文室真人から三諸朝臣に改姓[1]
- 時期不詳:従五位上
- 延暦16年(797年) 2月15日:右大舎人頭
- 延暦18年(799年) 11月8日:宮内大輔
- 時期不詳:従四位下
- 大同3年(808年) 11月17日:従四位上
- 大同4年(809年) 正月21日:三諸朝臣から三山朝臣に改姓。6月?:三山朝臣から文室朝臣に改姓[2]
- 弘仁3年(812年) 正月7日:正四位下