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文姜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文姜
の公爵夫人
魯桓公夫婦は斉へ行く。『東周列国志』より。

死去 紀元前673年
配偶者 桓公
子女 荘公
氏族 姜姓呂氏
父親 釐公
出身諸侯国
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文姜(ぶんきょう、生年不詳 - 紀元前673年)は、桓公の夫人。

概要

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釐公の娘として生まれた。兄の襄公近親相姦の関係にあり[1]、そのことが夫の桓公に伝わり、非難を受けるとそのことを襄公に告げた。襄公は桓公を持て成すふりをして酒に酔わせ、部下の公子彭生に命じて肋骨を折って殺した[2]

大国の当主の娘であり妹という境遇もあってのことであろうが、かなり活発で行動的な女性だったといわれ、夫や兄が死んでからも度々国外に出、諸国間の会盟に立ち会ったり、軍を閲兵するなどの行動もした[3]

脚注

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  1. ^ 司馬遷史記世家 上』(岩波書店、1980年)53ページ ISBN 978-4-003-32146-1
  2. ^ 春秋左氏伝 上』(岩波書店、1988年)103ページ ISBN 978-4-003-32161-4
  3. ^ 劉向列女伝 3』(平凡社、2001年)172-173ページ ISBN 978-4-582-80689-2