文姜
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文姜 | |
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魯の公爵夫人 | |
魯桓公夫婦は斉へ行く。『東周列国志』より。 | |
死去 |
紀元前673年 |
配偶者 | 桓公 |
子女 | 荘公 |
氏族 | 姜姓呂氏 |
父親 | 釐公 |
出身諸侯国 | 斉 |
文姜(ぶんきょう、生年不詳 - 紀元前673年)は、魯の桓公の夫人。
概要
[編集]斉の釐公の娘として生まれた。兄の襄公と近親相姦の関係にあり[1]、そのことが夫の桓公に伝わり、非難を受けるとそのことを襄公に告げた。襄公は桓公を持て成すふりをして酒に酔わせ、部下の公子彭生に命じて肋骨を折って殺した[2]。
大国の当主の娘であり妹という境遇もあってのことであろうが、かなり活発で行動的な女性だったといわれ、夫や兄が死んでからも度々国外に出、諸国間の会盟に立ち会ったり、軍を閲兵するなどの行動もした[3]。
脚注
[編集]- ^ 司馬遷『史記世家 上』(岩波書店、1980年)53ページ ISBN 978-4-003-32146-1
- ^ 『春秋左氏伝 上』(岩波書店、1988年)103ページ ISBN 978-4-003-32161-4
- ^ 劉向『列女伝 3』(平凡社、2001年)172-173ページ ISBN 978-4-582-80689-2