拝志村
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はいしむら 拝志村 | |
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廃止日 | 1956年9月1日 |
廃止理由 |
新設合併 拝志村・北吉井村・南吉井村 → 重信町 |
現在の自治体 | 東温市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 温泉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,797人 (1955年) |
隣接自治体 | 南吉井村・川内村・川瀬村・久万町・坂本村・荏原村 |
拝志村役場 | |
所在地 | 愛媛県温泉郡拝志村大字下林 |
座標 | 北緯33度46分51秒 東経132度52分39秒 / 北緯33.78089度 東経132.87756度座標: 北緯33度46分51秒 東経132度52分39秒 / 北緯33.78089度 東経132.87756度 |
ウィキプロジェクト |
拝志村(はいしむら)は、1956年(昭和31年)まで愛媛県の温泉郡にあった村であり、現在の東温市の南西部に位置する。
地理
[編集]位置・地形
[編集]現在の東温市の南西部。四国山地の皿ヶ嶺連峰の北側、重信川中流の左岸、重信川の支流の一つである拝志川の流域。拝志川は皿ヶ嶺の北麓、大字上林荒谷に源流を発し、五反地で重信川に合流する。山の麓に沿って集落が展開していた。
山
- 皿ヶ嶺
地名の由来
[編集]- 拝志は拝師とも林ともいう。拝志郷という名は平安期の古文書にもその名が登場する。中世には林郷とも呼ばれた。
地域・集落
[編集]旧の3つの村がそのまま大字となった。
- 上林(かみはやし[1]、かみばやし[2]、かんばやし[3][4])、下林(しもはやし、しもばやし)、上村(うえむら)の3つの大字があった。いずれも明治の村制発足前からの旧村であり、
- 重信町になっても大字として存続し、さらに平成の合併により東温市となってからは単位としては継承しつつも「大字」は冠さない。[5]
人口
[編集]昭和30年人口3,797人。
教育
[編集]明治期から教育熱心な土地柄で、上林、下林、上村に尋常小学校があった。村予算の半額超を教育予算が占めた時期もある。
- 小学校 上林小学校、拝志小学校が東温市立小学校として現存[6]
- 中学校 拝志中学校があったが重信中学校に統合され、当地域に中学校はなくなっている。
行政
[編集]役場
はじめ下林の連合戸長役場を転用した。1904年(明治37年)、下林の旧役場隣接地に新役場を建造した。
歴史
[編集]藩政期
- 松山藩領
明治以降
- 1889年(明治22年) 12月15日 - 町村制施行に伴い拝志村が成立。当時は下浮穴郡に属した。
- 1897年(明治30年) 4月1日 - 温泉郡に所属。
- 1956年(昭和31年) 9月1日 - 北吉井村・南吉井村との合併により重信町となる。
拝志村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) 上林村 ━━┓ ┃ 下林村 ━━╋━━━━━ 拝志村 ━━━┓ (昭和31年9月1日合併) ┃ ┃ 上村 ━━┛ ┣━━ 重信町 ┃ 北吉井村 ━━━┫ ┃ 南吉井村 ━━━┛
産業
[編集]藩政期から新田開発が盛んに行われ、水田耕作が中心。
名所・旧跡
[編集]出身・ゆかりの人物
[編集]脚注
[編集]- ^ 日本気象協会 上林(カミハヤシ)のアメダス
- ^ 日本郵便 郵便番号検索 愛媛県東温市上林
- ^ 東温市観光物産協会 上林の棚田
- ^ 当地区の住民は「かみはやし」と読まれることを好むが、他地区の住民からは慣習的に「かんばやし」と呼ばれることが多い。
- ^ 川内町と重信町との平成の合併協議時に、任意協議会の段階で了解され法定の協議会においても初回会合において確認された。愛媛県『町村合併誌』2006年(平成18年)3月による
- ^ 両小学校の沿革のページ(外部、愛媛スクールネット)参照。なお、上村の学校は下林小学校へ統合、下林小学校は後に拝志小学校となる。 拝志小の沿革のページ https://haishi-e.esnet.ed.jp/history 上林小の沿革のページ https://kamihayashi-e.esnet.ed.jp/history
- ^ 『新編温泉郡誌』 730-731頁
- ^ 『新編温泉郡誌』 731頁
- ^ 『新編温泉郡誌』 731頁
- ^ 『新編温泉郡誌』 732頁
参考文献
[編集]- 椿南松田卯太郎 『新編温泉郡誌』 松山石版印刷所、1916年