押川定秋
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押川 定秋(おしかわ さだあき、1890年(明治23年)5月17日[1] – 1951年(昭和26年)5月10日[2])は、日本の弁護士[3]、衆議院議員(民主党)。
経歴
[編集]宮崎県児湯郡高鍋町出身[4]。定澄の三男[1]。独習にて普通学を修め、1914年、郷里高鍋を出て上京して苦学力行しつつ1917年(大正6年)、明治大学法科を卒業、同年弁護士を開業した[1][3]。
東京府会議員、同市部会議長に選出された[5]。また神奈川県農機具工業組合理事長、同農機具工業統制組合理事長、同農機具工業協同組合理事長を務めた[4]。
1947年(昭和22年)、第23回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
その他、細王舎工場合資会社代表社員を務めた[4]。
人物
[編集]家族・親族
[編集]- 押川家
- 1892年 -
- 長男[1]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『大衆人事録 第12版』178-179頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月11日閲覧。
- ^ 衆議院議員名鑑 1962.
- ^ a b 『東京弁護士名家録 第1巻』24-25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月11日閲覧。
- ^ a b c 衆議院要覧 1947.
- ^ 大東京自治代表者写真大鑑 1935.
参考文献
[編集]- 佐藤幸平『東京弁護士名家録 第1巻』日本法曹要覧発行所、1925年。
- 小石川新聞社出版部編『大東京自治代表者写真大鑑 小石川区之部』小石川新聞社出版部、1935年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
- 『衆議院要覧(乙) 昭和二十二年十二月』衆議院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。