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打田稔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

打田 稔(うちだ ねん、1953年[1] - 2016年)は、日本のモーターサイクルジャーナリスト、編集者、写真家(JPS日本写真家協会、JRPA日本レース写真家協会会員)、オフロードライダーである。本名:打田 稔(うちだ みのる)。エディトリアルプロダクション有限会社シフト代表。山形県鶴岡市出身[2]東京都在住。1987年から1999年までの12年間、月刊ガルル(実業之日本社・刊)の編集長を務め、国内にオフロードバイク人気とエンデューロブームを築いた。自らも国際ラリーレイドなどに出場し、海外のオフロードレースを紹介したオフロードバイク界の第一人者。

来歴

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  • 1977年 - 東京綜合写真専門学校に入学。それまで描き続けてきた絵画をやめ、本格的に写真術を学ぶ
  • 1981年 - 『月刊プレイライダー』(芸文社)のカメラマン&編集者として席をおく。雑誌業界で仕事を始める
  • 1983年 - フリーランスカメラマンとして独立。『The Bike』(毎日新聞社)、『モトライダー』(三栄書房)、『サイクルサウンズ』(山海堂)、『サイクルワールド』(ソニー出版)などの2輪専門誌をメインに4輪専門誌や一般誌にも関わる
  • 1984年 - 書籍『ベストライダー入門』(文研出版)を出版
  • 1986年 - パリ・ダカールラリーを取材する
  • 1987年 - 『月刊ガルル』(実業之日本社)編集長に就任。1999年までの12年間を務め、国内にオフロードバイク人気、エンデューロブームを築く
  • 1988年 - テレビ朝日『ウインズサファリ/大地と闘う1万キロ』の2時間特番にゲスト出演。司会は歌手の河島英五
  • 1989年 - TBS『男のBEタイム』に出演。富士山麓でオフロードバイクを楽しむ“男の時間”を収録しオンエア
  • 1990年 - FM山口から海外ラリーの取材を受け、3週にわたり放送される
  • 1991年 - RKB毎日放送福岡)『パンパシフィック・スーパークロス』の実況解説者として出演
  • 1993年 - テレビ東京YAMAHA ON and OFF』に夫婦でオフロードツーリングを楽しむという想定で出演
  • 1999年 - 『オフロード・バム』(エイ出版社)創刊、編集長に
  • 2003年 - 新潟県立川西高等学校でバイク講演。全校生にバイクや冒険ラリーのすばらしさと感動、夢を持つこと大切さを講演する
  • 2003年 - エディトリアルプロダクション有限会社シフトを設立、代表取締役に
  • 2004年 - 『Off-Road Rider』(エイ出版社)創刊、編集長に
  • 2005年 - FMアップル(北海道のコミュニティーFM)に出演
  • 2006年 - 映画『スーパークロス』(アメリカ・配給/日活)公開記念"アゲアゲ"スーパーライブ試写会にゲスト出演
  • 2009年 - 平凡社新書『ハーレーダビッドソンの世界』(平凡社)を出版
  • 2009年 - 東京FM『SUNTORY SATURDAY WATING BAR “AVANTI”』に出演(11月7日オンエア)、スーパーカブの歴史について語る
  • 2010年 - 東京FM『SUNTORY SATURDAY WATING BAR “AVANTI”』に出演(3月13日オンエア)、ハーレーダビッドソンの人気について語る
  • 2010年-2012年 - 東京綜合写真専門学校から招かれ、在学生に“社会の現場”について講義を行う
  • 2016年 - 6月死去[3]

主な企画・編集書籍

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  • 『PROJECT BIG-1 20th ANNIVERSARY』(2012年10月31日発売/八重洲出版)
  • 『REAL Motorcycle Vol.2 RC30/Honda VFR750R 開発者の熱い想いが名馬を生んだ』(2012年2月29日発売/八重洲出版)
  • 『REALMotorcycle 伝説の2ストローク最強マシン Honda NSR250R』(2011年8月31日発売/八重洲出版)
  • 『モトクロス黄金時代 1960's-1990's』(2010年12月発売/八重洲出版)
  • 『Dream CB Ⅱ』(2010年発売/八重洲出版)
  • 『ハーレーダビッドソン・アーカイブ・コレクション1960-2010』(2009年発売/八重洲出版)
  • 『YAMAHA RACING GLORY Since1955 ヤマハ栄光の記録』(2009年発売/八重洲出版)
  • 『GREATEST HARLEY 1903-2008』(2008年発売/八重洲出版)
  • 『ヤマハ・オフ・ワールド』(2008年発売/八重洲出版)
  • 『地球一バイク Honda Super Cub』(2008年発売/八重洲出版)
  • 『Go! Go! Monkey!』(2007年発売/八重洲出版)
  • 『Dream CB』(2006年発売/八重洲出版)
  • 『VINTAGE OFF ROAD BIKE COLLECTION 381』(2006年発売/八重洲出版)
  • 『ハーレーダビッドソン・ソフテイル・メンテナンスブック』(2005年発売/八重洲出版)
  • 『岡田忠之のライディングテクニック』(スタジオTAC)
  • 『HONDA XR FILE』(スタジオTAC)
  • 『ウイリー松浦のオフロードテクニック』(スタジオTAC)
  • 『オフロードバイク・メンテナンス&セッティング』(スタジオTAC)
  • 『ハーレーダビッドソン・スポーツスター・マスターブック』(スタジオTAC)

主な著書

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  • 平凡社新書『ハーレーダビッドソンの世界』(平凡社)
  • 『ベストライダー入門』(文研出版) 

主な国際レース出場歴

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  • 1984年10月 - 第3回ファラオラリー(エジプト):日本人初出場、ミスコースで行方不明になりながらも時間外完走(XLX250R)
  • 1985年10月 - 第4回ファラオラリー(エジプト):マラソンクラス7位(XL650R)
  • 1986年11月 - バハ1000(メキシコ):参戦記を雑誌で紹介、翌年から日本人参加者が激増する。クラス3位(XR350R)
  • 1987年5月 - スモーキングホイール(グアム):グアムのバイクショップでバイクをレンタルし参加。7位(RM250)
  • 1987年11月 - バハ1000(メキシコ):マイク眞木らとチームを結成し出場。完走(XR250R)
  • 1988年8月 - ウィンズサファリ(オーストラリア):3日目に右膝靭帯を切断しながらも完走。帰国後2カ月の入院。総合25位・クラス6位(TT350R)
  • 1989年11月 - バハ1000(メキシコ):完走(XR250R)
  • 1990年8月 - オーストラリアンサファリ(オーストラリア):総合19位・クラス4位(XR250R)
  • 1990年11月 - バハ1000(メキシコ):マイク眞木真木蔵人親子と出場し、完走(XR250R)
  • 1991年8月 - オーストラリアンサファリ(オーストラリア):5日目にクラッシュし90分間意識不明でリタイア。そのシーンがテレビで放映される(XR250R)
  • 1991年11月 - バハ1000(メキシコ):総合33位・クラス6位
  • 1992年5月 - 第1回ロシアンラリー(ロシア):完走(XT400E)
  • 1992年11月 - バハ1000(メキシコ):バイク冒険家・風間深志とチームを結成し出場。総合52位・クラス15位(KDX250R)
  • 1993年11月 - バハ1000(メキシコ):完走(XR250R)
  • 1995年7月 - 第1回ラリーレイドモンゴル(モンゴル):総合16位・クラス5位(XR BAJA)
  • 1996年7月 - 第2回ラリーレイドモンゴル(モンゴル):元全日本モトクロスチャンピオン東福寺保雄らとチームを結成し出場。4日目に右足を骨折したままラリーを続行したが、6日目にマシントラブルでリタイア(XR250R)
  • 1997年8月 - 第3回ラリーレイドモンゴル(モンゴル):初日にマシントラブルでリタイア(XR250R)
  • 1998年3月 - 第2回インターナショナル3デイズエンデューロ(マレーシア):完走(XR400R)
  • 1998年7月 - 第4回ラリーレイドモンゴル(モンゴル):総合9位・オーバー38クラス1位(XR400R)
  • 1999年1月 - 第21回グラナダ・ダカールラリー(スペインアフリカ):5日目に140km/hのハイスピードでクラッシュ(鎖骨と肋骨6本を骨折)しリタイア(XR400R)
  • 2005年8月 - 第1回ベンジン・ウランバートル2005(中国/モンゴル):MOTO総合15位・クラス4位(KTM450EXC-R)

脚注

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  1. ^ Webcat Plus
  2. ^ JRPA:日本レース写真家協会
  3. ^ 編集者の打田稔さん死去 「月刊ガルル」でオフロードバイクブーム スポニチアネックス 2016年6月13日

外部リンク

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