手塚正次
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手塚 正次(てづか しょうじ、1875年(明治8年)1月22日 - 1924年(大正13年)12月6日[1])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]山梨県中巨摩郡西野村(現南アルプス市)で、代々油屋と称する素封家、手塚八兵衛の長男として生まれる[1][2]。山梨県立甲府中学校を卒業後、西野村長を務めていた父の補佐を行った[2]。
1900年、結成された立憲政友会に入党[1]。1903年10月、山梨県会議員に当選[1][2]。同副議長、同議長を歴任[2][3]。1907年、明治40年の大水害の救済と復興事業に尽力[1]。同年12月、在家塚村外二ヶ村組合長に当選し、1908年1月まで在任[2]。
1908年5月、第10回衆議院議員総選挙に山梨県郡部から出馬し当選[1][3]。第11回総選挙でも当選したが、1914年11月7日に辞職[4]して政界を引退し、実業界に転じた[1]。積隆銀行取締役、大日本重石取締役、京浜電力常任監査役などを歴任[3]。
1924年5月、第15回総選挙で沖縄県第二区から出馬して当選し、衆議院議員を通算三期務めた[1][3]。議員在任中、東京府八王子付近を通過中の列車内で発病し、甲府市内で療養したが1924年12月に死去した[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『山梨百科事典』増補改訂版、山梨日日新聞社、1989年。
- 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
- 『山梨人事興信録』甲府興信所、1918年。