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戸田忠禄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
戸田忠禄
時代 江戸時代後期
生誕 寛政9年5月19日1797年6月13日
死没 弘化4年9月20日1847年10月28日
改名 鍼三郎(幼名)、忠禄
戒名 雄捜玄心大機院
墓所 東京都新宿区牛込の松源寺
官位 従五位下、長門
幕府 江戸幕府
下野国足利藩
氏族 戸田氏
父母 父:戸田忠喬
兄弟 忠居藪忠可忠禄
忠行、娘(戸田忠文正室)
養子:忠文
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戸田 忠禄(とだ ただとみ)は、下野足利藩の第6代藩主。宇都宮藩戸田家分家6代。

寛政9年(1797年)5月19日、第5代藩主・戸田忠喬の三男として生まれる。兄で世子の忠居は病弱だったため、文化13年(1816年)3月に廃嫡となり、代わって忠禄が世子に指名された。12月16日に従五位下・長門守に叙位・任官する。文政4年(1821年)4月7日、父の隠居により家督を譲られる。

弘化4年(1847年)9月20日に死去した。享年51。四男の忠行は忠禄の死後に生まれたため、家督は婿養子忠文が継いだ。

系譜

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父母

正室

側室

  • 綱嶋氏

子女

養子