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成田常吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

成田 常吉(なりたつねきち、文久2年(1862年)2月1日 - 昭和4年(1929年)は、明治の写真師[1]

来歴

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文久2年、父、福井藩士・成田半之助・母、豊田サクの二男として生まれる[2]
長男・五郎(吾郎、市之丞)、三男・孝 四男・豊四郎の四兄弟。長男(兄)・ 成田五郎(吾郎、市之丞)は内務省外務省領事従六位勲五等[3]。妻は福井武生の造り酒屋の娘・マサ。 五男二女をもうける[4]

エピソード

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1万円札に肖像として使用された福沢諭吉の写真は、明治24年に支店の開業間もなく成田常吉撮影と推測されている。オリジナルの鶏卵紙は、慶応大学アート・センターに所管されアーカイブ保存されている。なお江木写真店は慶應義塾と関係が深く、『慶應義塾校舎一覧』(慶應義塾図書館所蔵、7X@A10@1)も作成している。

外部リンク

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出典

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  1. ^ https://shashinshi.biz/archives/2191
  2. ^ a b c d 『京浜実業家名鑑』京浜実業新報社、1907年、365頁。
  3. ^ 『官報 1907年08月22日』大蔵省印刷局、1910年、455頁。
  4. ^ 『現代人名辞典』中央通信社、1912年、ナ76頁。
  5. ^ a b 『日本紳士録 第2版』交詢社、1892年、22頁。
  6. ^ 『写真月報 12(12)』交詢社、1907年、94頁。
  7. ^ 『写真宝鑑 訂』小西六本店、1936年、604頁。