慈恩寺村
表示
じおんじむら 慈恩寺村 | |
---|---|
廃止日 | 1954年5月3日 |
廃止理由 |
新設合併 岩槻町、新和村、和土村、川通村、柏崎村、河合村、慈恩寺村 → 岩槻町 |
現在の自治体 | さいたま市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 南埼玉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,893人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 埼玉県:南埼玉郡岩槻町、春日部町、豊春村、川通村、河合村、黒浜村、日勝村 |
慈恩寺村役場 | |
所在地 | 埼玉県南埼玉郡慈恩寺村大字慈恩寺258番地1 |
座標 | 北緯35度58分54秒 東経139度42分30秒 / 北緯35.98156度 東経139.70844度座標: 北緯35度58分54秒 東経139度42分30秒 / 北緯35.98156度 東経139.70844度 |
特記事項 | 人口はによる |
ウィキプロジェクト |
地理
[編集]- 埼玉県南埼玉地域の中央部に位置する。
- 2006年(平成18年)現在におけるさいたま市岩槻区相野原、慈恩寺、表慈恩寺、裏慈恩寺、鹿室、徳力、小溝、古ヶ場、上野、南辻、上里(一部)、東岩槻(一部)にあたる。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、慈恩寺、裏慈恩寺、表慈恩寺、古ヶ場、徳力、鹿室、上野、南辻、小溝、相野原の10箇村が合併し、慈恩寺村が成立する[1]。
- 1940年(昭和15年) - 南埼玉郡日勝村大字岡泉および実ケ谷、黒浜村大字江ヶ崎の各一部が慈恩寺村に編入され、慈恩寺村の一部を分割し日勝村および黒浜村へ編入する[1]。
- 1954年(昭和29年)5月3日 - 岩槻町、新和村、和土村、川通村、柏崎村、河合村と合併し、岩槻町が成立。慈恩寺村は消滅した[2][1]。大字は岩槻町へ継承された。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 岩槻町が市制施行し岩槻市となる[2]。
- 1971年(昭和46年)1月22日 - 大字小溝の小林住宅向けとして市内局番に94局を追加。
- 1971年(昭和46年)3月31日 - 区画整理により大字表慈恩寺、上野、裏慈恩寺、慈恩寺、春日部市大字花積、道口蛭田の各一部から諏訪一丁目から五丁目、大字上野、表慈恩寺、南平野の各一部から上里一丁目及び二丁目、大字表慈恩寺、慈恩寺、上野、南平野、春日部市大字花積の各一部から東岩槻一丁目 - 六丁目(1 - 17番地)が成立。
- 1972年(昭和47年)11月頃 - 元荒川と東武野田線より北側の区域で市内局番が56局から94局に変更。
- 1987年(昭和62年)8月9日 - 上野・古ヶ場土地区画整理事業により大字上野、大字古ヶ場の各一部から上野一丁目-六丁目、古ヶ場一丁目-二丁目が成立。
- 1988年(昭和63年)12月19日 - 市内の市外局番が0487から048に変更。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 岩槻市がさいたま市に編入され、同市岩槻区となる。
脚注
[編集]- ^ a b c 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』419頁。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1429頁。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。