愛敬 正元(あいきょう まさもと、天保2年(1831年) - 明治9年(1876年)11月3日)は、幕末から明治時代の神職。幼名は亀助、のち左司馬[1]。
肥後国代継宮の祠官[2]幼名は亀助、のち左司馬。熊本藩の国学者林桜園に学び、尊王攘夷運動に加わる[2]。明治9年(1876年)神風連の乱に長男の元吉と共に参加するが敗れ、同年11月3日筑前三国峠にて自刃した[2]。