愛島村
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めでしまむら 愛島村 | |
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廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 愛島村、増田町、閖上町、下増田村、高舘村、館腰村 → 名取町 |
現在の自治体 | 名取市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 名取郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 24.15 km2 |
総人口 |
4,029人 (『名取市史』、1955年3月31日) |
隣接自治体 | 高舘村・増田町・館腰村・千貫村・富岡村 |
愛島村役場 | |
所在地 | 宮城県名取郡愛島村笠島弁天19の3 |
座標 | 北緯38度09分03秒 東経140度50分57秒 / 北緯38.15078度 東経140.84917度座標: 北緯38度09分03秒 東経140度50分57秒 / 北緯38.15078度 東経140.84917度 |
ウィキプロジェクト |
愛島村(めでしまむら)は、1889年から1955年まで日本の宮城県名取郡にあった村である。仙台平野の南西部にある農村で、周辺町村と合併して現在は名取市の一部である。
概要
[編集]愛島は、1889年の合併に加わった村の名から作った合成地名である。北目村の「め」と塩手村の「で」で「めで」の読みを作り、それに愛の字をあて、笠島村と小豆島村から島の字をとった。
名取郡の西部にあり、地形は北と西が愛島丘陵、東が仙台平野である。西から東に川内沢川が流れ降る。
1955年の合併まで農村で、特産にモウソウチクのタケノコがあり、大正時代から仙台方面に出荷された[1]。合併後には仙台市の郊外として住宅地が造成されたが、全体的には竹林が多い農村地帯であり続けている。
行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1〜2 | 大友貞吉 | 明治22年(1889年)4月22日 | 明治29年(1896年)4月19日 | |
3 | 本郷弥兵衛 | 明治29年(1896年)5月22日 | 明治33年(1900年)4月30日 | |
4〜5 | 斉藤太郎 | 明治34年(1901年)9月23日 | 明治40年(1907年)10月17日 | |
6 | 大友周治 | 明治40年(1907年)10月30日 | 明治44年(1911年)10月29日 | |
7 | 本郷源四郎 | 明治44年(1911年)11月4日 | 大正4年(1915年)11月3日 | |
8〜11 | 本郷褜次郎 | 大正4年(1915年)11月5日 | 昭和4年(1929年)3月4日 | |
12 | 檀崎源左ェ門 | 昭和4年(1929年)3月20日 | 昭和7年(1932年)6月12日 | |
13〜14 | 猪股直蔵 | 昭和7年(1932年)6月28日 | 昭和13年(1938年)3月23日 | |
15 | 大友周太郎 | 昭和13年(1938年)4月13日 | 昭和15年(1940年)12月12日 | |
16 | 猪股直蔵 | 昭和16年(1946年)1月30日 | 昭和20年(1945年)1月20日 | 再任 |
17 | 山崎半十郎 | 昭和20年(1945年)1月31日 | 昭和22年(1947年)3月31日 | |
18 | 佐々木善喜 | 昭和22年(1947年)4月6日 | 昭和26年(1951年)4月5日 | |
19 | 田村顕晃 | 昭和26年(1951年)4月22日 | 昭和30年(1955年)3月31日 |
教育
[編集]1873年(明治6年)に笠島村に作られた笠島小学校が、合併後に愛島小学校と改称した。愛島中学校は、1947年(昭和22年)に新設された。名取市になってから、名取市立第一中学校に統合して廃止された。
脚注
[編集]- ^ 『名取市史』672頁。
参考文献
[編集]- 名取市史編纂委員会『名取市史』、宮城県名取市、1977年。