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愛宕福子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

愛宕 福子(あたご とみこ、1656年明暦2年) - 1681年延宝9年))は、霊元天皇掌侍。父は権大納言愛宕通福[1]。母は千種有能の娘。源内侍局と称した。源福子とも呼ばれる。

生涯

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権大納言愛宕通福の娘として生まれる。霊元天皇掌侍となり、1672年寛文12年)に第二皇子の寛隆法親王、1675年延宝3年)に第四皇女の綱宮を生む。源内侍局と称された[2]

1681年延宝9年)、死去。

脚注

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  1. ^ 愛宕家(羽林家)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2021年1月15日閲覧。
  2. ^ 「歴代皇后人物系譜総覧」(新人物往来社2002年