コンテンツにスキップ

悼公 (宋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

悼公(とうこう、? - 紀元前396年)は、戦国時代の君主(在位前404年 - 前396年)。姓は子、名は購由。昭公の子。昭公の後をうけて宋国の君主となった。在位8年[1]

紀元前385年、の攻撃を受けて、その侵攻は彭城に達し、悼公は捕らえられた。このときに殺害されたとみられる[要出典][2]

脚注

[編集]
  1. ^ 史記』宋微子世家第八 「昭公四十七年卒,子悼公購由立。悼公八年卒,子休公田立。」 s:zh:史記/卷038
  2. ^ 史記の韓世家の記述は誰を捕らえたかは名指ししておらず、殺害を窺わせる文言も含まれていない。『史記』韓世家第15 韓文侯文侯二年,伐鄭,取陽城。伐宋,到彭城,執宋君。七年,伐齊,至桑丘。鄭反晉。九年,伐齊,至靈丘。十年,文侯卒,子哀侯立。」 s:zh:史記/卷045