悲しい色やね
「悲しい色やね -OSAKA BAY BLUES-」 | ||||
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上田正樹 の シングル | ||||
B面 | Night Train To The Sky | |||
リリース | ||||
規格 | 7インチシングル盤 | |||
録音 | 1982年 | |||
ジャンル | ソウルミュージック・歌謡曲・バラード | |||
レーベル | CBS・ソニー | |||
作詞・作曲 |
康珍化(作詞) 林哲司(作曲) | |||
チャート最高順位 | ||||
上田正樹 シングル 年表 | ||||
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「悲しい色やね -OSAKA BAY BLUES-」(かなしいいろやね -おおさかベイブルース-)は、1982年10月21日にリリースされた上田正樹のシングルである。作詞は康珍化、作曲は林哲司、編曲は星勝が担当した。
背景
[編集]上田正樹は、1977年の上田正樹とサウス・トゥ・サウス解散後からソロ活動をしており、1981年にはCBS・ソニーに移籍したが、ヒット曲に恵まれずにいた[2]。彼の楽曲のディレクターを務めていた関屋薫は、複数の作曲家に作曲を依頼した。その中の一人である林哲司は、英語詞向けに作ったメロディを作成し、関屋に提出した[2]。
メロディを受け取った関屋は、林とのタッグで知られる作詞家の康珍化に作詞を依頼した[2]。その夜、康は「あの曲を関西弁の女性の視点からで書いてもよいか」と関屋に尋ねて驚かせた[2]。さらに数日後、康が提出した歌詞を読んだ林は「演歌みたいな曲が売れるわけがない」と感じた。その一方、関屋は洒落たメロディと関西弁の歌詞、そして上田のハスキーな歌声が合うと感じた[2]。
本楽曲は当初題名を「大阪ベイブルース」にする予定だったが、最終的には「悲しい色やね」へと変更し、「-OSAKA BAY BLUES-」を副題名として売り出された[2]。
歌詞の「にじむ街の灯」は元々「尼崎の街の灯」だったとする噂が根強くある[3]。康自身、尼崎南部の海岸から見た大阪のイメージから作詞したと発言している[4]。
B面の「Night Train To The Sky」は、上田本人が作詞・作曲を手掛けた楽曲である(編曲は井上鑑)。
反響
[編集]本楽曲が発表された直後の売れ行きは良くなかったが、有線放送のリクエスト回数が少しずつ増えていき、翌1983年の夏頃にはオリコンチャート上位にランクイン[2]。オリコン週間最高順位は第5位・1983年年間順位は第26位、34.8万枚のセールスを記録する[1]。
TBSテレビ系列・生放送音楽番組『ザ・ベストテン』へは、1983年5月26日放映時に「今週のスポットライト」で初登場。その後同年7月7日、第9位で初めての当番組へランクインを果たす。それから最高順位は第6位(通算4週間)まで上昇し、同年8月18日まで連続7週間10位以内にランクされた。
収録曲
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e オリコンランキング情報サービス「you大樹」
- ^ a b c d e f g 佐々木モトアキ (2017年10月15日). “悲しい色やね〜大阪弁、女言葉で綴られた名曲はこうして生まれた”. Tap the Pop. 2017年12月24日閲覧。
- ^ 尼崎の歌 ザ・ベストテン/第6-10位 - 『南部再生』第30号、尼崎南部再生研究室、2008年。
- ^ 悲しい色やね〜大阪弁、女言葉で綴られた名曲はこうして生まれた - 街の歌|TAP the POP
関連項目
[編集]- 悲しい色やねん - 本楽曲をモチーフにした小説、映画
- ご当地ソング - 大阪府のご当地ソング一覧(大阪全般)
- 1982年の音楽
- 1983年の音楽