恵徳皇后
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段皇后 | |
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後燕の皇后 | |
在位 | 396年 - 400年 |
別称 | 恵徳皇后 |
埋葬 | 長楽元年12月25日(400年) |
配偶者 | 恵愍帝 |
子女 | 慕容策 |
氏族 | 鮮卑段部 |
恵徳皇后(けいとくこうごう、? - 400年)は、後燕の恵愍帝慕容宝の皇后。姓は段氏。
生涯
[編集]慕容宝に嫁ぎ、男子を1人産んだ。永康元年(396年)、慕容宝が即位すると、皇后に立てられた。同年、息子の慕容策が太子に立てられた。
永康3年(398年)5月、蘭汗は慕容宝と慕容策を殺害し、昌黎王を自称して即位、簒奪した。7月、慕容宝の庶出長男の慕容盛(昭武帝)が父の仇討として蘭汗を殺し、即位した。嫡母の段皇后も皇太后に立てられた。
長楽元年12月25日(西暦400年)、崩御した。「徳」の諡号が贈られ、夫の諡を重ねて恵徳皇后と称された。
男子
[編集]- 慕容策(献哀太子)