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恩田えり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
恩田おんだ えり
本名 恩田おんだ 恵理えり
生年月日 (1971-09-05) 1971年9月5日(53歳)
出身地 日本の旗 日本東京都中野区
活動期間 2003年 -
活動内容 寄席囃子奏者
所属 落語協会

恩田 えり(おんだ えり、1971年9月5日[1] - )は、落語協会に所属する寄席囃子奏者。血液型はO型、東京都中野区出身。本名:恩田 恵理

経歴

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中野区立第十一中学校、東京都立豊多摩高等学校[2]日本大学法学部卒業[1]

会社員として働いている時に海外へのホームステイを経て日本文化を知りたいと思い立ち、その中で出会った寄席に長い時間いたいと考えるようになる。会社で知り合いの落語家[3]に相談したところ「女性はお囃子かお茶子席亭」とアドバイスを受ける。長唄三味線を自主的に4年間稽古した後[4]、2001年、国立劇場伝統芸能伝承者養成機関(寄席囃子コース)第11期入学。養成所の同期は松本優子(現:桂小すみ落語芸術協会所属)。

養成所修了後の2003年に落語協会に入会、寄席囃子奏者として所属。寄席や落語会で寄席囃子を弾き、原則寄席を裏方として支えている。

柳家小三治に「恩田えりは宇宙人か」[5]と言わせた独特のキャラクターを持ち、演奏曲のレパートリーも広く仲間から愛されている。高座に上がって色物として「ひとり高座実録シリーズ」を披露したり、海外で「寄席囃子教室」を開くなどの経験も多彩。

人物

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  • 趣味は草野球・映画鑑賞・プロレス観戦・義太夫語り。
  • 姉が2人いる[2]。えりが12~3歳の頃、父親が仕事でスワジランド(当時)に単身赴任しており、家族で会いに行ったことがある[6]
  • 春風亭百栄と漫才コンビ「ウニウミウシ」を結成、2007年にM-1に出場。フリーランスとして三回戦まで進出した[7][8]

著書

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出演

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映画

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ラジオ

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配信

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脚注

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  1. ^ a b 自己紹介 恩田えり”. 大和田落語会. 2022年5月11日閲覧。
  2. ^ a b よせばやし子の一日”. 豊多摩リンクス. 豊多摩同窓会 (2011年3月5日). 2022年5月11日閲覧。
  3. ^ 五代目円楽一門会所属の三遊亭洋楽(2017年死去)。
  4. ^ 【笑ってお別れ 国立演芸場】伝承者養成事業 - 寄席囃子・恩田えりさん、太神楽・鏡味味千代さん」『読売新聞』2023年8月6日。
  5. ^ 恩田えり『お囃子えりちゃん 寄席ばなし』イースト・プレス、2012年2月25日、表紙帯頁。 
  6. ^ 恩田えり『お囃子えりちゃん 寄席ばなし』イースト・プレス、2012年2月25日、133-135頁。 
  7. ^ 11/25(日) 3回戦・東京 ルミネtheよしもと”. M-1GPアーカイブ. M-1グランプリ事務局 (2007年11月25日). 2022年5月11日閲覧。
  8. ^ 「ウニウミウシ」の漫才は、DVD『百栄の落語「芝浜やりたい!」「最後のジュゲム」』(竹書房、2013年)に収録されている。

外部リンク

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