志賀能郷
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時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 豊前八郎、信寂 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
氏族 | 大友氏→志賀氏 |
父母 | 父:大友能直、母:深妙 |
兄弟 | 親秀、詫摩能秀、時直、元吉有直、親直、禅能、朝直、一萬田時景、鷲尾秀直、志賀能郷、豊前能基、田原泰広 |
志賀 能郷(しが よしさと)は、鎌倉時代の武士。志賀氏の始祖。通称は豊前八郎。法名は信寂。
経歴
[編集]大友能直の八男として生まれる。母親は能直の妻・深妙(畠山重能の娘)[1]。
貞応2年(1223年)11月27日に、父親が53歳で死去し、豊後国勝津留などの所領・所職(地頭職)を譲られる[1]。
延応2年(1240年)に、母から豊後国大野荘志賀村の南方地頭職を譲られ、志賀氏を始める[1]。
系譜
[編集]志賀能郷以降、志賀氏と大友氏は、文永11年(1274年)の元寇を機に、豊後国に戻り、ともに九州での勢力を拡大した[1][2]。大友氏はその後、豊後・筑後国など北九州を支配した守護職・守護大名で、戦国時代には戦国大名に成長し、最盛期には豊後・筑後に加え豊前・肥前・肥後・筑前の6ヶ国と日向・伊予の各半国を領有する[2]。