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心の扉をあけよう

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「心の扉をあけよう」
メラニーシングル
初出アルバム『Gather Me
B面 人の噂
リリース
規格 7インチ・シングル
録音 ニューヨーク、アレグロ・サウンド・スタジオ
ジャンル フォーク、ポップス
時間
レーベル ネイバーフッド・レコード
作詞・作曲 メラニー
プロデュース ピーター・シュケリック
チャート最高順位
メラニー シングル 年表
The Good Book
(1971年5月)
心の扉をあけよう
(1971年9月)
The Nickel Song
(1972年1月)
ミュージックビデオ
「Brand New Key」 - YouTube
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心の扉をあけよう」(Brand New Key)は、メラニー1971年に発表した楽曲。各国で大ヒットしたノヴェルティ・ソング。

概要

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語り手は昼中にローラースケートを履いて男の子の家まで行く。「私は新品のローラースケートを一足持ってて、あなたは新しい鍵を持っている。私たちいっしょになるべきだと思うし、ぜひとも合わせてみましょう」と提案するが、彼女は、彼が避けているように思われて仕方がない。

作品が生まれた経緯についてメラニーは後年次のように述べている。

私は水だけで27日間断食を続けていた。断食が終わるとニュージャージーに戻り、朝の6時頃フリーマーケットに行った。その帰りだった。マクドナルドの前を通った時、香りが鼻をついた。私は断食を始めるまでベジタリアンだったんだけど、店に飛び込んで、あるものを洗いざらい頼んだ。ハンバーガーにシェイク、フライドポテト・・・そしてバーガーの最後のひとかじりを終えた瞬間、あの歌がひらめいた。香りがローラースケートをしたり自転車の乗り方を教えてもらったりしたときの記憶を呼び覚ましたのね。タイヤの泥よけをつかたんだ父の姿が私には見えた。私は言い続けている。「放しちゃだめ、放しちゃだめ。放しちゃだめよ、いい?」。でも振り返ると父は手を放していて、私はそのまま地面に落ちた。 — classicrockmusicwriter.comによるインタビュー(2013年8月12日)[2]
「心の扉をあけよう」ね。私はあれをある晩、15分で書き上げた。かわいらしい曲ができたなって思ったわね。古い30年代の曲のようでもあったし。鍵と錠なんてフロイト言うところの象徴そのものみたいだけど、まあ意味は明らかなんじゃないかしら。人々はあの歌の意味を探ろうとして、時々信じがたい物語を歌詞からこしらえたりするけれど、そのおかげである所ではラジオで放送禁止になってしまった。 — Superseventies.comの記事より[3]

なお当時のローラースケートは、「スケートキー」と呼ばれるキーを用いて、足に合わせてサイズを調整できる仕組みになっていた[4]

メラニーは1971年、ブッダ・レコードから離れ、夫のピーター・シュケリックとネイバーフッド・レコード(Neighborhood Records)を設立した。メラニーはニューヨークのアレグロ・サウンド・スタジオでアルバムのレコーディングを行う。プロデューサーは夫が務め、編曲はロジャー・ケラウェイが務めた。「心の扉をあけよう」はアルバムの先行シングルに選ばれ、同年9月に発売された。B面は「人の噂(Some Say (I Got Devil))」[1]

1971年12月25日から1月8日にかけてビルボード・Hot 100で3週連続1位を記録した[5][6]。また、イージーリスニング・チャートの5位を記録し、ビルボードの1972年年間チャートの9位を記録した。カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカで1位、イギリスで4位、アイルランドで8位を記録するなど世界的なヒット作品となった。

カバー・バージョン

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脚注

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関連項目

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先代
スライ&ザ・ファミリー・ストーン
ファミリー・アフェア
Billboard Hot 100 ナンバーワンシングル
1971年12月25日 - 1月8日(3週)
次代
ドン・マクリーン
アメリカン・パイ