徳川誠家
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徳川誠家 | |
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本姓 |
称・清和源氏 (徳川慶喜家庶流) |
家祖 | 徳川誠 |
種別 | 華族(男爵) |
出身地 | 静岡県 |
主な根拠地 | 東京府 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
徳川誠家(とくがわまことけ)は、徳川慶喜公爵家の分家にあたる華族の男爵家。徳川慶喜の九男徳川誠を家祖とする[1][2]。
歴史
[編集]徳川誠は旧江戸幕府の15代将軍だった華族の徳川慶喜の九男として明治20年に生まれた[3]。
当時慶喜は徳川宗家16代当主徳川家達公爵の戸籍に入っていた静岡県在住の無爵華族だったので、誠も生誕時には徳川宗家の戸籍にあった。しかし明治35年に至って父慶喜は、徳川宗家から分家して徳川慶喜家を起こし、その戸主となるとともに、宗家と別に公爵位を与えられたため、誠も慶喜家の戸籍に移った[3]。
慶喜家の公爵位は慶喜の七男慶久が継ぎ、弟の誠ははじめ山本重礼の養子に入ってアメリカに留学したが、帰国後の明治45年に山本家と離縁したのを経て[1]、大正2年に至って慶喜家から分家し[2]、同年11月5日に父慶喜の勲功により華族の男爵位を許された[1][4]。
誠は横浜正金銀行のアメリカやフランス支店に勤務したのを経て、城東電気軌道重役、浅野セメントの監査役などを歴任[2]。また貴族院の男爵議員も務めた[1]。誠夫人の霽子は名和長憲男爵の長女[1]。
徳川誠男爵家の昭和前期の住居は東京市豊島区高田本町にあった[2]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 157.
- ^ a b c d 華族大鑑刊行会 1990, p. 546.
- ^ a b 霞会館華族家系大成編輯委員会 1996, p. 156.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 360.
- ^ 『住宅』7巻7号大正11年7月号(住宅改良会)
出典
[編集]- 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年(平成8年)。ISBN 978-4642036719。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。