コンテンツにスキップ

弓を削るキューピッド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
『弓を削るキューピッド』
作者パルミジャニーノ
製作年1533–1535年頃
寸法135 cm × 65.3 cm (53 in × 25.7 in)
所蔵美術史美術館ウイーン

弓を削るキューピッド』(ゆみをけずるキューピッド、伊: Cupido che fabbrica l'arco、英: Cupid Making His Bow)は、イタリアマニエリスム期の画家、パルミジャニーノによる1533–1535年頃の絵画である。オーストリアウィーン美術史美術館に所蔵されている。

歴史

[編集]

絵画は、パルミジャニーノの友人であり後援者でもあったパルマのフランチェスコ・バイアルドの目録に掲載されている。ルネサンス時代後期に『画家・彫刻家・建築家列伝』を著したジョルジョ・ヴァザーリは、バイアルドが『手で弓を作るキューピッド』を依頼したと書いている[1]

本作はマルカントニオ・カヴァルカに相続されたが、後にスペインのフェリペ2世の国務長官、アントニオ・ペレスの所有となり、スペインにもたらされた。 1579年にペレスは不名誉な出来事を起こし、絵画を神聖ローマ皇帝ルドルフ 2 世の使節に売却する羽目になった。しかし、スペイン王家により売却は認められず、本作は1603年になって、コレッジョの『ユピテルとイオ 』 、『ガニュメデスの略奪』とともにルドルフ2世による獲得が叶い、プラハに到着した。そして1631 年にウィーンのシャッツカマーに移された[1]

キューピッドの頭部の準備素描が、ルーヴル美術館の素描室 (ナンバー1662) に所蔵されている。本作は、数多くの画家によって頻繁に複製され、手本として使用された。ミュンヘンアルテ・ピナコテークには、ヨーゼフ・ハインツ (父) とルーベンスによる複製がある[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c Mario Di Giampaolo, Elisabetta Fadda 2002, p.145.

 

出典

[編集]
  • Di Giampaolo, Mario; Elisabetta Fadda (2002). Parmigianino. Sant'Arcangelo di Romagna: Keybook. p. 145. ISBN 88-18-02236-9 
  • Viola, Luisa (2007). Parmigianino. Parma: Grafiche Step 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]