コンテンツにスキップ

康祐碩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カン・ウソク
康祐碩
生年月日 (1960-11-10) 1960年11月10日(64歳)
出生地 大韓民国の旗 韓国 慶尚北道 慶州市[1]
職業 映画監督
脚本家
プロデューサー
ジャンル 映画
活動期間 1989年[1] - 現在
テンプレートを表示
康祐碩
各種表記
ハングル 강우석
漢字 康祐碩[2]
発音: カン・ウソク
英語表記: Kang Woo-suk[2]
テンプレートを表示

康 祐碩カン・ウソク、강우석、1960年11月10日[1] - )は、韓国映画監督脚本家プロデューサーシネマ・サービス代表、カン・ウソク シネマ・アカデミー代表。慶尚北道慶州市出身。映画監督としての代表作は『シルミド』、『韓半島 -HANBANDO-』ほか。『シルミド』は韓国で1000万人以上を観客動員し、2003年当時、韓国の観客動員数歴代1位を記録した。

略歴

[編集]

フィルモグラフィ

[編集]

監督

[編集]
  • 『甘い花嫁たち』(原題:달콤한 신부들)(1988年)
  • 『幸せは成績順位ではないでしょう』(原題:행복은 성적순이 아니잖아요)(1989年)
  • 『私は日々立ち上がる』(原題:나는 날마다 일어선다)(1990年)
  • 『十九歳、絶望の果てで歌うひとつの愛の歌』(原題:열아홉 절망 끝에 부르는 하나의 사랑노래)(1991年)
  • 『誰が竜の足の爪を見たのか』(原題:누가 용의 발톱을 보았는가)(1991年)
  • 『二十歳まで生きていたい』(原題:스무살까지만 살고 싶어요)(1991年)
  • 『ミスターマンマ』(原題:미스터 맘마)(1992年)
  • ツー・コップス』(原題:투캅스)(1993年)
  • 『女房殺し』(原題:마누라 죽이기)(1994年)
  • 『ママに恋人ができました』(原題:엄마에게 애인이 생겼어요)(1995年)
  • 『ビールが恋人よりいい七つの理由』(原題:맥주가 애인보다 좋은 7가지 이유)(1996年)
  • 『ツー・コップス2』(原題:투캅스2)(1996年)
  • 『ホリデーイン・ソウル』(原題:홀리데이 인 서울)(1997年)
  • 『生寡婦慰謝料請求訴訟』(原題:생과부 위자료 청구소송)(1998年)
  • 公共の敵』(原題:공공의 적)(2002年)
  • シルミド』(原題:실미도)(2003年)
  • 公共の敵2 あらたなる闘い』(原題:공공의 적2)(2005年)
  • 韓半島 -HANBANDO-』(原題:한반도)(2006年)
  • カン・チョルジュン 公共の敵1-1』(原題:강철중: 공공의 적1-1)(2008年)
  • 黒く濁る村』(原題:이끼)(2010年)
  • ホームランが聞こえた夏』(原題:글러브)(2010年)
  • フィスト・オブ・レジェンド』(2013年)
  • 古山子 王朝に背いた男』(2016年)

製作

[編集]

製作総指揮

[編集]

企画

[編集]

受賞歴

[編集]
青龍映画賞
百想芸術大賞
利川春史大賞映画祭
黄金撮影賞
  • 第17回(1993年)監督賞『ミスターマンマ』 

『韓半島 -HANBANDO-』問題

[編集]

韓国で2006年7月に公開された映画『韓半島 -HANBANDO-』は、日本で波紋を呼んだ。共同通信は「行きすぎた反日と愛国心に訴え、議論が広がっている」、読売新聞は「日本が悪役に登場する『韓半島』の興行が注目されている」と報じた。また西日本新聞は2006年7月17日に「大ヒット!?究極の反日映画 『韓半島』にドッと観客 日韓武力衝突シーンが話題」なる見出しの記事を掲載した。映画が日本未公開であったにもかかわらず、日本テレビの報道番組『真相報道 バンキシャ!』や読売テレビの『たかじんのそこまで言って委員会』等でも取り上げられた[3][4]

なお同作は、日本では劇場公開されず、2011年11月2日にDVDが発売された。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 인물정보(人物情報) NAVER(韓国語) 2011年8月21日閲覧。
  2. ^ a b (カン・ウソク) KMDb 2011年8月21日閲覧。
  3. ^ 康祐碩氏『韓半島』は反日映画ではない 中央日報日本語版 (2006年7月31日)
  4. ^ 日 ‘한반도’ 때리기, 일본언론들 비난공세 NAVER 뉴스(ニュース)(2006年7月18日)(韓国語)

外部リンク

[編集]