庭田重具
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時代 | 室町時代末期 -安土桃山時代 |
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生誕 | 天文16年2月20日(1547年3月11日) |
死没 | 慶長3年1月17日(1598年2月22日) |
改名 | 重頼(初名)→重通→重具 |
戒名 | 栄蓮院松巖良貞 |
官位 | 正二位・権大納言[1] |
主君 | 正親町天皇→後陽成天皇 |
氏族 | 庭田家 |
父母 | 父:庭田重保、母:広橋兼秀の娘 |
兄弟 | 重具、正親町季秀、中御門資胤 |
妻 | 常楽寺純恵の娘 |
子 | 重定、具子、澄真、空順、永助 |
庭田 重具(にわた しげとも)は、室町時代末期から安土桃山時代にかけての公卿。初名は重頼(しげより)、のちに重通(しげみち)、重具と改めた。
生涯
[編集]天文 16年 (1547年)2月20日、 庭田重保の長男として誕生。
慶長3年(1598年)1月17日、死去した。享年52(満50歳)