庄司良朗
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庄司 良朗(しょうじ よしろう、1879年(明治12年)12月17日[1] - 1931年(昭和6年)6月22日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。ジャーナリスト。実業家。
経歴
[編集]静岡県駿東郡原町(現在の沼津市)出身[3]。静岡中学校を経て[4]、1901年(明治34年)に東京専門学校(現在の早稲田大学)行政科を卒業した[1]。1903年(明治36年)、沼津商業学校教諭となるが、翌年に起こった日露戦争に陸軍近衛歩兵少尉として出征し、中尉に昇進した[4]。その後、1908年(明治41年)に早稲田大学英語科を卒業した[1]。
駿豆新聞社社長兼主筆、東駿銀行監査役、沼津市畜産組合長、東海石炭株式会社社長、静岡朝報社社主などを務めた[3]。また駿東郡会議員、同議長、静岡県会議員、同参事会員に選出された。
1926年(大正15年)、衆議院補欠選挙に出馬し、当選。第16回衆議院議員総選挙・第17回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 静岡県職業名鑑編纂会編『静岡県職業名鑑』静岡県職業名鑑編纂会、1926年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。