広島宝塚1・2・3
広島宝塚 Hiroshima Takarazuka | |
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広島宝塚1・2・3 | |
情報 | |
正式名称 | 広島宝塚会館 |
旧名称 |
新天地劇場 広島宝塚劇場・宝塚地下劇場 |
完成 | 1951年 |
開館 | 1951年9月22日 |
開館公演 | 麦秋 |
閉館 | 2011年8月31日 |
最終公演 |
コクリコ坂から(宝塚1) アンダルシア 女神の報復(宝塚2) ロック 〜わんこの島〜(宝塚3) |
収容人員 | (3館合計)1,046人 |
設備 |
ドルビーデジタルサラウンドEX、DTS(宝塚1・3) ドルビーステレオ(宝塚2) |
用途 | 映画上映 |
運営 | 関西共栄興行株式会社 |
所在地 |
〒730-0034 広島県広島市中区新天地2-10 広島宝塚会館内 |
最寄駅 | 広電八丁堀電停 |
最寄バス停 | 広島バス・広電バス「八丁堀」停留所 |
広島宝塚(ひろしまたからづか)は、広島市中区(中央通り)にかつて存在した東宝系の映画館である。
建物名は「広島宝塚会館」。映画館以外に、吉野家や土間土間、古着屋のSPINNSなどのテナントも入居していたため、テナントビルとしても知名度があった。
経営・運営は東宝グループの関西共栄興行株式会社が行っていた。
閉館後は解体され、現在は広島東宝ビルとして、広島パルコと広島ワシントンホテルが入るビルとなっている。
概要
[編集]1949年、地元有志が東宝と提携し、『新天地株式会社』(当初は広島東宝劇場株式会社)が設立され、1951年9月22日、総工事費2千5百万円をかけて『新天地劇場』が開場した。当初は映画上映と実演興行を交互に行う劇場だったが、1952年8月に東宝に経営権が移り『広島宝塚劇場』になる。1971年8月に閉館時まで使われる建物に建て替えられ、最盛期には4スクリーンを有する映画館だった。
広島県内における東宝系のチェーンマスターとして数々のヒット作を上映したが、シネコン時代になると、ドラえもんやクレヨンしんちゃん、ポケットモンスターといったアニメ映画シリーズ作品は宝塚1・2・3では上映されず、近隣のシネマコンプレックスでの上映に移行していた。また、2009年9月6日に広島スカラ座が、11月13日に広島東映・ルーブルが閉館したため、松竹東急系の洋画と邦画作品(例:『おとうと』『ソーシャル・ネットワーク』等)も一部上映されるなど、番組編成が徐々にフリー化していった。
そして映画上映方式がデジタルへと移行しつつあった2011年6月に同年8月末での閉館を発表。8月31日、午後6時42分終映の『コクリコ坂から』を持って閉館した。最後まで35mmフィルム上映を貫いた広島宝塚の閉館で、広島市内から序破急(シネツイン・サロンシネマ・八丁座)や成人館などを除いて、広島市中心部から大手映画会社系映画館は消滅した。
2011年9月27日に東宝が跡地利用計画を発表した[1]。これまでの建物を取り壊し、地下1階地上14階の広島東宝ビルを建築。1階から3階には広島パルコが広島ZERO GATEを出店。本館・新館に次いで3館目になる[2]。4階から14階には、藤田観光が運営する広島ワシントンホテルが入居[3] [注釈 1]。そして2013年10月10日に広島東宝ビルが完成し、広島ZERO GATE(広島パルコ)及び、ワシントンホテルがオープンした。
沿革
[編集]- 1951年9月22日 - 前身となる「新天地劇場」がオープン。こけら落としは小津安二郎監督の『麦秋』。
- 1952年8月31日 - 東宝に経営が譲られ「広島宝塚劇場」と改称。
- 1971年8月2日 - 全面改築し、「広島宝塚劇場」(3階)、「宝塚地下劇場」(地下1階。後に「広島東宝」となる)の2館体制となる。
- 1987年3月1日 - ミニシアター「広島宝塚2」を新設。これに伴い宝塚劇場は「広島宝塚1」に、広島東宝は「広島宝塚3」に改称。
- 1995年3月18日 - 新天地レジャービル5階の宝塚4(座席数200)を加え4館体制となる。
- 1997年7月12日 - 宝塚1にて『もののけ姫』公開。半年に及ぶロングランヒットを記録する。
- 2004年5月23日 - 宝塚4をサロンシネマなどを運営する「序破急」に譲渡(→シネツイン新天地)し3館体制に戻す。
- 2008年2月1日 - 運営会社が東宝関西興行から関西共栄興行に変更。
- 2011年
- 6月 - 近隣のシネマコンプレックス[注釈 2]に客足を奪われたことや、建物の老朽化などの事情により閉館を発表する[4]。
- 8月31日 - 午後6時42分終映の『コクリコ坂から』(宝塚1)をもって完全閉館。新天地劇場時代から60年の歴史に幕を下ろした。
- 2013年10月10日 - 広島宝塚会館跡地に広島東宝ビルが完成し、広島ZERO GATE(広島パルコ)及び、ワシントンホテルがオープンした。
各館の特徴
[編集]宝塚1
[編集]定員588人。常に洋画の大作と、ヒット予想の高い邦画を上映。TOHOシネマズ日劇スクリーン1、TOHOシネマズスカラ座系の作品が多かった。
宝塚2
[編集]定員62人。規模の小ささからか、主に宝塚1・3で上映された作品のムーブオーバー(続映)や、TOHOシネマズ限定上映作品(六本木ヒルズ系のTOHOシネマズ系チェーンやお台場シネマメディアージュ系のTOHOシネマズ単館作品)が上映されていた。3館内で唯一、定員入替制を導入しており、前売券・株主券などのチケットは、当日券(時間指定券)に引き替えてから入場するシステムとなっていた。
宝塚3
[編集]定員396人(車椅子用の2席を含む)。東宝邦画系作品(TOHOシネマズ日劇スクリーン2系列のチェーン)のみを上映。1ヵ月に1作程度の割合で、新作が公開されていた。
※ただし、ヒット予想の高い作品によっては、客入りなどで上映館が変わることもあった。
テナント
[編集]- 吉野家
- 土間土間 - お好み村のテナントビル「新天地プラザ」へ移転。
- SPINNS - 古着屋。本通へ移転。
- アントニオ猪木酒場
- 秋吉 - 焼き鳥屋。
- すし亭 - 中の棚へ移転。
- SUIREN - バー&ダイニング。立町 のすき家のビルへ移転。
かつて存在したテナント
[編集]アクセス
[編集]ほか
周辺施設
[編集]- 旧ウィズワンダーランド - 旧いづみ八丁堀店。イズミのスーパー1号店であった。その後ショッピングモールのウィズワンダーランドとなった。2004年にはヤマダ電機となったが、ヤマダ電機移転後の現在は、ドン・キホーテとなっている。
- アリスガーデン
- 中央通り
- 広島パルコ(本館・新館)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1993年10月から2006年9月まで、『広島ロイヤルワシントンホテル』→『広島ワシントンホテルプラザ』(現・オリエンタルホテル広島)が存在したが、そちらの運営元はワシントンホテルで、運営元が異なる
- ^ 同劇場を中心とした10km圏内にはワーナー・マイカル・シネマズ広島、広島バルト11、TOHOシネマズ緑井、109シネマズ広島の4サイトが存在する。
出典
[編集]- ^ 広島宝塚会館 再開発計画の概要 (PDF) - 東宝株式会社 2011年9月27日プレスリリース 2011年10月10日確認
- ^ 広島宝塚会館 再開発ビルへの出店について (PDF) - 株式会社パルコ 2011年9月27日プレスリリース 2011年10月10日確認
- ^ 2013年秋 広島ワシントンホテル開業 - 藤田観光 2011年10月10日確認
- ^ “最後の老舗 広島宝塚閉館へ”. 中国新聞 (2011年6月7日). 2011年7月15日閲覧。
関連項目
[編集]広島県内にある東宝系のシネマコンプレックス
- TOHOシネマズ緑井 - フジグラン緑井内。TOHOシネマズ直営。
- 広島バルト11 - イオンモール広島府中内。ティ・ジョイ(東映系)とTOHOシネマズの共同経営。運営はティ・ジョイ主体である。