広上王
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広上王(ひろかみおう、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。官位は従五位上・鍛冶正。
経歴
[編集]神護景雲4年(770年)の普光寺牒に、広上王が平城京の左京二条七坊に所在した東大寺所領地の南に、土地を持っていた、という記録がある[1]。
従五位下に叙爵後、光仁朝の宝亀5年(774年)斎宮長官に任官する。
桓武朝の延暦5年(786年)内礼正に任じられる。延暦8年(789年)の皇太后・高野新笠、および翌延暦9年(790年)の皇后・藤原乙牟漏の葬儀に際して、御葬司を務めた。のち、従五位上に昇叙され、延暦10年(791年)鍛冶正に補せられている。
官歴
[編集]注記のないものは『六国史』による。
- 時期不詳:従五位下
- 宝亀5年(774年) 8月15日:斎宮長官
- 延暦5年(786年) 10月8日:内礼正
- 延暦8年(789年) 12月29日:御葬司(皇太后・高野新笠葬儀)
- 延暦9年(790年) 閏3月11日:御葬司(皇后・藤原乙牟漏葬儀)
- 時期不詳:従五位上
- 延暦10年(791年) 3月21日:鍛冶正
脚注
[編集]- ^ 『大日本古文書』6巻1頁