幸地宗廣
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幸地 宗廣(こうち そうこう、1567年 - 1632年)は琉球王国第二尚氏王統の人。泊里主宗重を元祖とする呉氏大宗家(呉氏我那覇家)の五世で唐名は呉國卿[1]。
概要
[編集]万暦年間、黄冠に叙せられ、佐敷間切地頭職に任ぜられる。
万暦21年(1593年)、豊見城間切我那覇地頭職に転任。御物城職、那覇里主職を歴任。
天啓2年(1622年)、上意により首里の居を移す。崇禎2年(1630年)三司管座敷に叙せられる[2]。
系譜
[編集]呉氏四世我那覇親方宗昌の次男として生まれる。
- 父:呉天澤・我那覇親方宗昌
- 母:封氏我那覇親方助元の娘・乙益美
- 兄(長男):呉国承・座間味親方宗時(別有家譜)
- 姉(長女):乙益金(麻氏儀保里之子良行に嫁す)
- 室:思乙(安谷屋女、号は梅室)
参考文献
[編集]- ^ 呉姓家譜(我那覇家)“アーカイブされたコピー”. 2013年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月7日閲覧。
- ^ 沖縄門中大辞典・那覇出版社