平野長勝
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平野 長勝(ひらの ながかつ、慶長8年(1603年)- 寛文8年2月9日(1668年3月21日))は、大和交代寄合表御衆田原本2代領主。平野長泰の長男。正室は小浜光隆の娘。通称権平。妹に下間仲虎(西本願寺の臣)の妻。養子に平野長政(七沢清宗の長男)。
寛永5年(1628年)に遺領を相続し、十市郡薬王寺村に仮陣屋を構えた。寛永12年(1635年)田原本に陣屋の建造を始めるが、寺内町を支配する浄土真宗教行寺と対立した。正保4年(1647年)教行寺を著尾に移転させ、その跡に本誓寺を同地に移し、残りの土地に円城寺(慶安4年(1651年)創建、浄土真宗本願寺派、現浄照寺)を建立し、本誓寺(浄土宗)を菩提寺とした。慶安元年(1648年)に陣屋は完成し、それまでの薬王寺村より移り、町割の整備をし田原本の基礎を造った。
明暦2年(1656年)12月8日、将軍徳川家綱の命で、家綱の生母・宝樹院の異父弟である長政を養子とさせられた。
寛文8年(1668年)に66歳で没し、養子の長政が跡を継いだ。霊廟は、享保2年(1717年)11月に五十回忌に4代領主平野長英が建立した。
『尾張群書系図部集』では、長泰弟の長重を長泰の養子として、長勝は長重の子として記されている。