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平野光雄 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平野 光雄
ひらの みつお
平野光雄
生年月日 (1881-01-01) 1881年1月1日
出生地 静岡県庵原郡由比町
没年月日 (1958-07-26) 1958年7月26日(77歳没)
出身校 慶應義塾大学部政治科
所属政党 憲政会
立憲民政党
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平野 光雄(ひらの みつお、1881年明治14年)1月1日[1] - 1958年昭和33年)7月26日[2])は、日本ジャーナリスト政治家。政治家としては憲政会立憲民政党に所属し、衆議院議員選挙に通算6回当選し逓信参与官を務めた。

経歴

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静岡県庵原郡由比町(現在の静岡市清水区)出身[3]1910年(明治43年)、慶應義塾大学部政治科を卒業[4]。『時事新報』記者を務めた[3]

1922年大正11年)、衆議院議員補欠選挙に出馬し当選。第20回衆議院議員総選挙に至るまで6回当選を果たした。その間、岡田内閣で逓信参与官を務めた。

1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けたが落選した。

戦後、公職追放となる[5]1951年(昭和26年)追放解除[6]

その他、日本茶精株式会社取締役、東京荷造材料株式会社取締役[4]、伊勢製茶株式会社監査役などを務めた[3]

脚注

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  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、16頁。
  2. ^ 『新訂政治家人名事典』
  3. ^ a b c 『衆議院議員略歴』
  4. ^ a b 『人事興信録』
  5. ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、116頁。NDLJP:1276156 
  6. ^ 『朝日新聞』1951年6月19日朝刊1面。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。 
  • 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。 
  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。 
  • 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』日外アソシエーツ、2003年。