平田箴
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平田 箴(ひらた ただし、1855年12月17日(安政2年11月9日[1])- 1925年(大正14年)8月15日[2][3])は、明治から大正期の弁護士、政治家。衆議院議員、岩手県会議長。
経歴
[編集]陸奥国磐井郡、のちの岩手県[2]西磐井郡一関町[3](現一関市)で、一関藩士の家に生まれた[4]。藩校教成館で文武の課程を修めた[4]。
警察官を志願し[4]、盛岡警察署(現盛岡東警察署)詰巡査となる[4]。その後退職して自由党に加わり[4]、代言人(弁護士)の業務に従事[2][3][4]。その清潔公平な働きで信頼を得て[4]、村会議員、一関町会議員に選出された[2][3][4]。その後、岩手県会議員となり、同副議長、同議長を務めた[2][3]。その他、所得税調査委員、郡徴兵参事員、破産管財人なども務めた[2][3]。
1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(岩手県第5区、自由党)で初当選し[5]、第4回総選挙でも再選され[6]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3]。
国政選挙歴
[編集]- 第2回衆議院議員総選挙(岩手県第5区、1892年2月、自由党)落選[5]
- 第3回衆議院議員総選挙(岩手県第5区、1894年3月、自由党)当選[5]
- 第4回衆議院議員総選挙(岩手県第5区、1894年9月、自由党)当選[6]
- 第5回衆議院議員総選挙(岩手県第5区、1898年3月、自由党)次点落選[6]
- 第7回衆議院議員総選挙(岩手県郡部、1902年8月、立憲政友会)次点落選[7]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 菅原藤四郎 (寺峰居士) 編『岩手県国会議員候補者列伝 : 一名・撰挙便覧』三省書店、1890年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 一関市史編纂委員会『一関市史 第4巻 地域史』一関市、1977年。