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平田二郎

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平田二郎

平田 二郎(ひらた じろう、1857年4月24日(安政4年4月1日[1])- 1910年明治43年)3月31日[2])は、明治期の政治家、銀行家。衆議院議員、鹿児島県会議長。

経歴

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大隅国囎唹郡国分郷(鹿児島県[2]西囎唹郡国分村、姶良郡国分村[3]、国分町、国分市[4]を経て現霧島市)で、平田祐拙、みよ の長男として生まれる[1]

折田兼至長谷場純孝らと共に自由民権運動に参加した[4]。1882年(明治15年)九州改進党の結成に加わり、その後、鹿児島同志会が組織され委員となった[4]。国分村会議員に就任[5]。1886年(明治19年)10月、鹿児島県会議員に選出された[4][5]。同常置委員となり、1892年(明治25年)3月に副議長、1898年(明治31年)11月に第11代県会議長に就任[1][2][3][4]加納久宜鹿児島県知事の政策に協力して、鹿児島県農会の設立、県立農事試験場の創設などを推進した[4]

1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(鹿児島県郡部)で初当選し[1][4][6]、次の第8回総選挙でも再選され[4][6]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3][4]

また、農業振興に尽力し[5]、1898年(明治31年)5月、鹿児島県農工銀行設立の際に取締役となり[2][3][4][5]、その後、副頭取に就任した[1]

国政選挙歴

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脚注

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録 初版』1102頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』393頁。
  3. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』379頁。
  4. ^ a b c d e f g h i j 『郷土人系 上』77-78頁。
  5. ^ a b c d 『全国篤農家列伝』460-462頁。
  6. ^ a b c d 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』38頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』118頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
  • 『全国篤農家列伝』愛知県農会、1910年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 南日本新聞社編『郷土人系 上』春苑堂書店、1969年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。