帝王韻律
帝王韻律(ていおういんりつ、帝王韻、帝王韻詩、Rime Royal or Rhyme royal, ライム・ロイヤル)は、ジェフリー・チョーサーが英文学に持ち込んだ押韻したスタンザ(詩節、連)の形式。
形式
[編集]通常、帝王韻律のスタンザは7行で、通常、iambic pentameter(弱強五歩格)で書かれる。押韻構成は「a-b-a-b-b-c-c」である。実際には、7行のスタンザは、1つの三行連と2つの二行連(「a-b-a」「b-b」「c-c」)、もしくは1つの四行連と1つの三行連(「a-b-a-b」「b-c-c」)のどちらかで作られているのかも知れない。このことは大変多くの多様性を認めることで、とくに長い物語詩の中で二行連と一緒にこの形式を使う時、中世後期の標準的な物語体の韻律であるからである。
歴史
[編集]このスタンザ形式は、14世紀、チョーサーが長詩『トロイラスとクリセイデ』(en:Troilus and Criseyde)および『百鳥の集い(鳥たちの集会)』(en:Parlement of Foules)の中で最初に使用した。さらにチョーサーは『カンタベリー物語』の中の『尼寺の長の話』や短い抒情詩などで用いた。チョーサーはこのスタンザ形式を、フランス文学のバラードのスタンザやイタリア文学のオッターヴァ・リーマから、第5行を省いて作ったのかも知れない。
15世紀になって、スコットランド王ジェームズ1世はチョーサー風の詩『The Kingis Quair(王の本)』(en:The Kingis Quair)でこのスタンザ形式を使った。「帝王」という言葉はそこから由来したものと信じられている。イングランドやスコットランドの詩人たちはチョーサーの死後、その影響を多大に受け、少なくともいくつかの作品で帝王韻律を利用した。ジョン・リドゲイト(en:John Lydgate)は時折作る恋愛詩の多くで帝王韻律を使った。ロバート・ヘンリスン(en:Robert Henryson)の『イソップ寓話』の翻訳および『クレセイドの遺言』(en:The Testament of Cresseid)、作者不詳の『The Flower and the Leaf』も帝王韻律を採択した初期の作品である。
16世紀には、トマス・ワイアットが詩『They flee from me that sometime did me seek』で、トーマス・サックヴィル(en:Thomas Sackville, 1st Earl of Dorset)が『Mirror for Magistrates』の導入部で、アレクサンダー・バークレー(en:Alexander Barclay)が『Ship of Fools』で、スティーヴン・ホーズ(en:Stephen Hawes)は『Pastime of Pleasure』で帝王韻律を使用した。
エリザベス朝(1558年 - 1603年)になると、七行連のスタンザは時代遅れのものになったが、ジョン・デイヴィス(John Davys)が『Orchestra』で、ウィリアム・シェイクスピアが『ルークリース凌辱』で帝王韻律を用いた。エドマンド・スペンサーも『Hymn of Heavenly Beauty』で使ったが、帝王韻律を部分的に変更して、「a-b-a-b-b-c-b-c-c」という押韻構成を持ったスペンサー詩体(スペンサー連)も派生させた。
多くのスタンザ形式同様、王政復古期、帝王韻律は完全に時代遅れのものとなり、それ以後広く使われることはなくなった。とはいえ、20世紀になっても帝王韻律を使った詩が書かれた。その中でも、W・H・オーデンの『Letter to Lord Byron(バイロン卿への手紙)』(さらに『The Shield of Achilles(アキレスの盾)』の一部のスタンザも)、ウィリアム・バトラー・イェイツの『A Bronze Head』が有名である。
例
[編集]- The double sorwe of Troilus to tellen, - (a)
- That was the king Priamus sone of Troye, - (b)
- In lovinge, how his aventures fellen - (a)
- Fro wo to wele, and after out of Ioye, - (b)
- My purpos is, er that I parte fro ye, - (b)
- Thesiphone, thou help me for tendyte - (c)
- Thise woful vers, that wepen as I wryt - (c)
- (チョーサー『トロイラスとクリセイデ』の冒頭のスタンザ)