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帝国船舶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
帝国船舶株式会社
種類 株式会社
設立 1940年7月
業種 海運業
事業内容 外国船の取得・傭船
代表者 代表取締役 黒川新次郎(設立時)
資本金 1千万円(設立時)
主要株主 日本郵船大阪商船三井物産山下汽船川崎汽船国際汽船大同海運三菱商事辰馬汽船(持ち分は各1/9)
特記事項:1946年11月解散決議
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帝国船舶株式会社(ていこくせんぱく)は、第二次世界大戦期の日本に存在した海運会社である。戦時体制下での外国船による船腹確保を目的として、大手海運会社9社の出資により設立された国策会社であった。

沿革

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1937年(昭和12年)の日中戦争開始による軍需輸送の増大や、1939年(昭和14年)の第二次世界大戦開始による世界的な船舶需要拡大、各国の海運統制強化などのため、日本は商船の船腹不足に悩むようになった。そこで、外国船取得による自国商船確保を目的として、政府の要請を受けて設立されることになったのが帝国船舶である[1]

設立には、日本郵船大阪商船三井物産(船舶部)、山下汽船川崎汽船国際汽船大同海運三菱商事(船舶部)および辰馬汽船の大手海運会社9社が参加した。資本金1000万円は各社が均等出資し、役員も各社へ1人ずつ均等に割り当てられ、代表者には国際汽船社長の黒川新次郎が選ばれた[2]

設立後は政府の統制下で運営されたが、太平洋戦争終結後の1946年(昭和21年)11月に株主総会で解散が決議され、消滅することになった[1]

事業

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設立目的の通り、帝国船舶は外国船舶の確保を事業内容とした。1940年(昭和15年)8月6日に帰国不能となって大連港に在泊中のドイツ商船2隻を購入したのを皮切りに、当初は外国船の購入を進め、1941年(昭和16年)2月末までにドイツ商船5隻を取得した。それ以降は国際情勢の影響などで購入が困難となったことから、傭船中心に切り替え、1944年(昭和19年)までにドイツ、イタリアノルウェーギリシャ船籍などの商船37隻を雇い入れ、合計42隻の船隊となった。太平洋戦争中には、政府間交渉で徴用された貨客船「帝亜丸」(17,536トン、旧仏船Aramis)などフランス船11隻を依託された。帝国船舶の管理下に入った外国船の多くは、陸軍輸送船「帝興丸」(15,105トン、旧仏船D'Artagnan)や「帝北丸」(5,795トン、旧仏船Persee)などのように「帝」の文字で始まる船名に変更されている。

実際の船舶の運航は帝国船舶が行うのではなく、出資した各海運会社に委託または転貸する形式で行われた[3]1942年(昭和17年)の船舶運営会設立後は、国家徴用船として船舶運営会に一括傭船され、さらに民間の海運会社へと運航委託されている。一般の海運会社保有船と同様、軍による徴用の対象にもなった。

ビスマルク海海戦で撃沈された貨客船「帝洋丸」(6,863トン、旧独船Saarland)など保有船のほとんどが戦没し、終戦の日の残存船は帝山丸(1,544トン、元スウェーデン船Miramar)[注釈 1] のみであった[3]

船舶一覧

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*印の船は柳船として日本に来ていた船。

  1. 帝雲丸(1,548トン) - 旧貨物船ブレーメルハーフェン(Bremerhaven)。1940年8月6日購入。1942年1月1日、リンガエン湾にて触雷沈没。
  2. 帝海丸(三井物産船舶部委託、7,691トン) - 旧独貨客船フルダ(Fulda)。1940年8月6日購入。1944年12月30日、マタ38船団参加中、ルソン島西方沖で空爆を受けて大破炎上。総員退去後、漂流し座礁。
  3. 帝洋丸(内外汽船委託、6,863トン) - 旧独貨客船ザールランド(Saarland)。1940年9月30日購入。1943年3月3日、ニューギニア島南東沖で空爆を受け被弾沈没[4]。(ビスマルク海海戦)
  4. 帝福丸(辰馬汽船委託、5,198トン) - 旧独貨物船R.C.リクマス(R.C.Rickmers)。1940年11月購入。1942年12月29日、犬吠埼沖で米潜トリガーが敷設した機雷に触れて大破し座礁。1943年1月4日放棄[5][6]
  5. 帝龍丸(大連汽船委託、6,550トン) - 旧独貨物船アウクスブルク(Augsburg)。1940年12月5日購入。1944年7月19日、ユタ09船団参加中[7]、ルソン島北西沖で米潜ガードフィッシュの雷撃により沈没[8]
  6. 帝祥丸(川崎汽船委託、7,974トン) - 旧独貨物船ハーフェンシュタイン(Havenstein)。1941年4月傭船。1944年10月12日、高雄沖にて空爆を受け被弾沈没。
  7. 安宅丸(山下汽船委託、5,248トン)[9] - 旧貨客船アダ(Ada)。1941年4月傭船。1943年8月23日、第7822船団参加中、遠州灘で米潜パドルの雷撃により沈没[10][11]
  8. *帝仙丸(三菱汽船委託、5,050トン) - 旧独貨物船ウルスラ・リクマス(Ursula Rickmers)。1941年5月28日傭船。1944年5月3日、パラワン島北西沖で米潜フラッシャーの雷撃により沈没[12]
  9. 星丸(山下汽船委託、2,897トン) - 旧ノルウェー貨物船フォッシュ(Foch)[13]。1941年7月7日傭船。1945年7月25日、舞鶴付近で触雷沈没。
  10. トルナトール号(山下汽船委託、4,964トン) - 旧フィンランド貨客船トルナトール(Tornator)。1941年8月11日傭船。1942年1月26日、御前崎東方で座礁し、30日放棄[14]
  11. 泰丸(4,713トン) - 旧ギリシャ貨物船バレンタイン(Valentine)[15]。1941年8月12日傭船。1942年9月24日、樺太沿岸で座礁し、のち沈没。
  12. 浦戸丸(山下汽船委託、5,903トン) - 旧ギリシャ貨客船エラト(Erato)[16]。1941年9月6日傭船。1944年10月19日、マニラにて空爆を受けて被弾沈没。(マニラ空襲)
  13. *帝瑞丸(大同海運委託、5,428トン) - 旧独貨客船モーゼル(Mosel)。1941年9月傭船。1945年4月18日、関門海峡で触雷大破、座礁放棄。
  14. ティルダ号/アンネット・フリッツェン号(東亜海運委託、2,774トン) - 旧フィンランド貨物船ティルダ(Tilda)[注釈 2][13]。1941年11月11日傭船。1945年7月26日、釜山港外で触雷沈没。
  15. 帝安丸(大同海運委託、5,387トン) - 旧伊貨物船ヴェネツィア・ジュリア(Venezia Giulia)[注釈 3][15]。1941年11月傭船。1942年1月9日、房総半島沖で米潜ポラックの雷撃により沈没[注釈 4][17][18]
  16. 青木丸(山下汽船委託、3,710トン) - 旧伊貨物船アンバ・アラジ(Amba Aragi)[19]。1941年12月20日傭船。1944年11月13日、マニラにて空爆を受けて被弾沈没。(マニラ空襲)
  17. サド号(山下汽船委託、3,039トン) - 旧ポルトガル貨物船サド(Sado)。1941年12月傭船。1942年4月10日、伊豆大島北方沖で米潜スレッシャーの雷撃により沈没[20]
  18. プルート号(山下汽船委託、3,832トン) - 旧ポルトガル貨物船プルート(Pluto)[13]。1942年1月10日傭船。1945年6月24日、珍島西方沖にて空爆を受け被弾沈没。
  19. 帝久丸(三井物産船舶部委託、2,332トン) - 旧デンマーク貨物船グスタフ・ディーデリヒセン(Gustav Diedericksen)[21]。1942年3月傭船。1942年9月2日、襟裳岬南東沖で米潜ガードフィッシュの雷撃により船体を分断され沈没[22][23]
  20. 帝坤丸(飯野海運委託、5,113トン) - 旧独タンカーヴィネトウ(Winnetou)。1942年4月傭船。1944年8月12日、ミ13船団参加中[24]ミンドロ島沖で米潜パファーの雷撃により沈没[25]
  21. 帝楓丸(三井物産船舶部委託、7,110トン) - 旧貨物船ブーゲンヴィル(Bougainville)。1942年4月傭船。1945年1月21日、高雄で空爆を受け沈没。(グラティテュード作戦)
  22. 帝村丸(三井物産船舶部委託、7,007トン) - 旧仏貨物船ヴィル・ド・ヴェルダン(Ville de Verdun)[26]。1942年4月傭船。1942年10月14日、第174船団参加中、台湾[27]で米潜フィンバックの雷撃を受け漂流した後沈没[28][29][30]
  23. 帝香丸(大阪商船委託、8,007トン) - 旧仏貨客船キャプ・ヴァレラ(Cap Varella)。1942年4月傭船。1945年5月7日、響灘で触雷沈没。
  24. 帝北丸(三井物産船舶部委託、5,795トン) - 旧仏貨物船ペルセ(Persee)。1942年4月傭船。1945年8月11日、朝鮮半島東岸沖で米潜ジャラオの雷撃により沈没。
  25. 帝興丸(日本郵船委託、15,105トン) - 旧仏貨客船ダルタニャン(D'Artagnan)。1942年5月6日傭船。1944年2月22日、南ナツナ島東北東沖で米潜パファーの雷撃により沈没[31][32][33]
  26. 帝亜丸(日本郵船委託、17,536トン) - 旧仏貨客船アラミス(Aramis)。1942年5月6日傭船。1944年8月18日、ヒ71船団参加中、ルソン島北西沖で米潜ラッシャーの雷撃により沈没[34][35]
  27. 帝京丸(日本郵船委託、18,765トン) - 旧伊客船コンテ・ヴェルデ(Conte Verde)。1942年5月傭船。1943年9月11日、上海港にて自沈。後浮揚され壽丸と改名するが、1945年7月25日、空襲により大破擱座。1950年に浮揚し返却。
  28. 巴竜丸(山下汽船委託、3,904トン) - 旧伊貨物船グレナティエーレ・パドゥーラ(Granatiere Padula)。1942年6月傭船。1943年9月1日、朝鮮半島沿岸で座礁し、のち沈没。
  29. 帝立丸(大阪商船委託、9,877トン) - 旧仏貨客船ルコント・ド・リール(Leconte de Lisle)。1942年6月傭船。1945年7月28日、舞鶴南方沖で触雷大破、座礁放棄。1948年8月18日に浮揚修理され、1950年12月22日返却。
  30. 帝春丸(東亜海運委託、2,251トン) - 旧仏貨物船タイ・スン・ホン(Tai Seun Hong)。1942年6月傭船。1942年8月26日、中国台山列島東方沖で米潜ハダックの雷撃により沈没[36]
  31. 帝連丸(東亜海運委託、3,004トン) - 旧仏貨客船グーベルヌール・ジェネラル・アレクサンダー・ヴァレンヌ(Gouverneur General Alexander Varenne)。1942年6月傭船。1943年12月1日、香港で空爆を受け沈没。
  32. 帝望丸(三菱汽船委託、4,472トン) - 旧デンマーク貨物船ノルドボ(Nordbo)[26]。1942年7月1日傭船。1942年9月25日、第336船団[37]参加中、インドシナ半島近海で米潜サーゴの雷撃により沈没[38]
  33. 帝欣丸(東亜海運委託、1,972トン) - 旧仏貨物船キンディア(Kindia)。1942年7月傭船。1943年7月27日、海南島西岸沖で米潜タンバーが敷設した機雷[39]に触れ沈没。
  34. 帝宝丸(川崎汽船委託、1,230トン) - 旧独貨物船ボゴタ(Bogota)。1942年9月傭船。1943年返却[40]。1945年5月、ドイツ降伏に伴い捕獲され、ボゴタ丸として運航。終戦時残存し、1950年返還。
  35. *帝珠丸(川崎汽船委託、1,230トン) - 旧独貨物船キト(Quito)。1942年9月傭船。1943年返却[41]。1945年4月29日、ボルネオ島沖で米潜ブリームの雷撃により沈没[42][43]
  36. 燕京丸(山下汽船委託、2,278トン) - 旧伊貨客船エンデッタ(Enderta)。1942年10月傭船。1945年4月18日、済州島近海にて空爆を受け被弾沈没。
  37. 帝美丸(大阪商船委託、10,085トン) - 旧仏貨客船ベルナルタン・ド・サン・ピエール(Bernardin de Saint Pierre)。1942年10月傭船。1943年10月10日、第432船団参加中[44]カムラン湾北東沖で米潜ボーンフィッシュの雷撃により沈没。
  38. 杭寧丸(山下汽船委託、1,922トン) - 旧伊貨物船フリエリ・コンソリーニ(Furiere Consolini)。1942年11月傭船。1944年8月2日、三重県沖で米潜トートグの雷撃により沈没。
  39. 松王丸(山下汽船委託、1,911トン) - 旧伊貨物船マテオ・リッチ(Matteo Ricci)[16]。1943年1月傭船。1945年6月13日、関門海峡で触雷沈没。
  40. 南進丸(南洋海運委託、1,422トン) - 旧中国貨客船泳安(Yun-Gan)[13]。1943年3月23日傭船。1944年6月16日、マカッサル海峡で米潜ブルーフィッシュの雷撃により沈没[45]
  41. 帝山丸(三井船舶委託、1,554トン) - 旧スウェーデン貨客船ミラマー(Miramar)。1943年5月傭船。終戦時残存。終戦後米軍に接収され、1949年9月返却。
  42. 帝雄丸(三井船舶委託、5,753トン) - 旧伊貨物船カリニャーノ(Carignano)。1943年8月24日傭船。1944年11月13日、マニラにて空爆を受けて被弾沈没。(マニラ空襲)

脚注

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注釈

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  1. ^ その他、1945年7月28日に触雷して座礁放棄されていた貨客船帝立丸(大阪商船運航、9,877トン、旧仏船Leconte de Lisle)が1948年8月18日に浮揚修理された。
  2. ^ 1942年にドイツ船籍となり、アンネット・フリッツェン(Annette Fritzen)に改名。
  3. ^ 元はユーゴスラビア貨物船トミスラフ(Tomislav)を拿捕したもの。
  4. ^ 日本近海で潜水艦により撃沈された最初の日本輸送船となる

出典

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  1. ^ a b #郵船戦時下p.653
  2. ^ 海運統制の前進“帝国船舶”の誕生―興味ある船腹拡充 国策会社の意義」『神戸新聞』 1940年6月24日。
  3. ^ a b #郵船戦時下p.654
  4. ^ #戦史叢書96ガ島撤収後p.60-61
  5. ^ #横防戦1712(1)p.24, p.49-50
  6. ^ #横防戦1712(2)p.57-60
  7. ^ #一護1907p.34
  8. ^ #SS-217, USS GUARDFISH, Part 2p.82-84
  9. ^ Chapter V: 1943” (英語). The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II. HyperWar. 2012年6月18日閲覧。
  10. ^ #SS-263, USS PADDLEp.21, p.36-37
  11. ^ #伊勢防1808(2)p.3
  12. ^ #SS-249, USS FLASHERpp.46-48
  13. ^ a b c d #帝船p.5
  14. ^ #芬蘭船 p.63,66
  15. ^ a b #帝船p.2
  16. ^ a b #帝船p.4
  17. ^ #SS-180, USS POLLACKpp.16-17
  18. ^ #横鎮1701p.17
  19. ^ #帝船p.3
  20. ^ #横鎮1704p.20,23
  21. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter IV: 1942” (英語). HyperWar. 2012年2月29日閲覧。
  22. ^ #SS-217, USS GUARDFISH, Part 1p.20,32
  23. ^ #大警1709pp.10-11
  24. ^ #SS-268, USS PUFFERp.219-220
  25. ^ #SS-268, USS PUFFERp.221-223, p.245-246
  26. ^ a b #再傭船船舶表p.20
  27. ^ #馬警1710p.3
  28. ^ #馬警1710p.3-4
  29. ^ #一護1710p.16
  30. ^ #SS-230, USS FINBACKp.26-27
  31. ^ #SS-268, USS PUFFERp.102-104
  32. ^ #郵船戦時上p.537, p.539-540
  33. ^ #野間p.404
  34. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II(2011年11月28日閲覧)
  35. ^ #駒宮p.226
  36. ^ #SS-231, USS HADDOCKp.16
  37. ^ #一護1709p.36
  38. ^ #SS-188, USS SARGO, Part 1p.160
  39. ^ #SS-198, USS TAMBORp.110
  40. ^ 帝寶丸”. 大日本帝国海軍特設艦船データベース. 2023年11月9日閲覧。
  41. ^ 帝珠丸”. 大日本帝国海軍特設艦船データベース. 2023年11月9日閲覧。
  42. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter VII: 1945” (英語). HyperWar. 2012年4月26日閲覧。
  43. ^ #SS-243, USS BREAMp.283-284, p.303-304
  44. ^ #SS-223, USS BONEFISH, Part 1p.24
  45. ^ #SS-222, USS BLUEFISH, Part 1p.218

参考文献

[編集]
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  • (Issuu) SS-188, USS SARGO, Part 1. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-188_sargo_part1 
  • (Issuu) SS-198, USS TAMBOR. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-198_tambor 
  • (issuu) SS-217, USS GUARDFISH, Part 2. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-217_guardfish_part2 
  • (issuu) SS-222, USS BLUEFISH, Part 1. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-222_bluefish_part1 
  • (issuu) SS-223, USS BONEFISH, Part 1. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-223_bonefish_part1 
  • (issuu) SS-230, USS FINBACK. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-230_finback 
  • (issuu) SS-231, USS HADDOCK. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-231_haddock 
  • (issuu) SS-243, USS BREAM. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-242_bluegill_part2 
  • (issuu) SS-249, USS FLASHER. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-249_flasher 
  • (issuu) SS-263, USS PADDLE. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-263_paddle 
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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08030314400『自昭和十七年一月一日至昭和十七年一月三十一日 横須賀鎮守府戦時日誌』。 
    • Ref.C08030316700『自昭和十七年四月一日至昭和十七年四月三十日 横須賀鎮守府戦時日誌』。 
    • Ref.C08030505000『自昭和十七年九月一日至昭和十七年九月三十日 大湊警備府戦時日誌』。 
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    • Ref.C08030138400『自昭和十七年九月一日至昭和十七年九月三十日 第一海上護衛隊戦闘詳報 第六号』、pp. 21-37頁。 
    • Ref.C08030138500『自昭和十七年十月一日至昭和十七年十月三十一日 第一海上護衛隊戦闘詳報』。 
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  • 日本郵船戦時船史編纂委員会『日本郵船戦時船史』 下、日本郵船、1971年。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』朝雲新聞社、1976年8月。 
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9 
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』野間恒(私家版)、2004年。