帆寄村
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ほよりむら 帆寄村 | |
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廃止日 | 1949年6月1日 |
廃止理由 |
国家行政組織法施行 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 樺太地方 |
都道府県 | 樺太庁 敷香支庁 |
郡 | 元泊郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 755.678[1] km2. |
総人口 |
1,787人 (1941年12月1日) |
隣接自治体 |
元泊郡元泊村 恵須取郡珍内町 泊居郡久春内村 豊栄郡白縫村 |
帆寄村役場 | |
所在地 | 樺太庁元泊郡帆寄村馬群潭 |
座標 | 北緯48度12分11秒 東経142度32分40秒 / 北緯48.2031度 東経142.5445度座標: 北緯48度12分11秒 東経142度32分40秒 / 北緯48.2031度 東経142.5445度 |
特記事項 | 1943年4月1日以降は北海地方に所属。 |
ウィキプロジェクト |
帆寄村(ほよりむら)は、日本の領有下において樺太に存在した村(指定町村)。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を参照。現在はロシア連邦がサハリン州プガーチョヴォとして実効支配している。
概要
[編集]多来加湾(オホーツク海)に面していた。村内には樺太の秀峰の突岨(とっそ)山、馬群潭(まぐんたん)桜山や泥火山など自然に恵まれていた。
歴史
[編集]- 1915年(大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により行政区画として発足。元泊郡に所属し、豊原支庁元泊出張所が管轄。
- 1922年(大正11年)10月 - 管轄支庁が元泊支庁に変更。
- 1929年(昭和4年)7月1日 - 樺太町村制の施行により二級町村となる。
- 1942年(昭和17年)11月 - 管轄支庁が敷香支庁に変更。
- 1943年(昭和18年)4月1日
- 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。
- 指定町村となる。
- 1945年(昭和20年)8月22日 - ソビエト連邦により占拠される。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日帆寄村廃止。
村内の地名
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地域
[編集]教育
[編集]以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[3]。
- 樺太公立馬群潭国民学校
- 樺太公立浜馬群国民学校
- 樺太公立登帆国民学校
- 樺太公立近幌国民学校
脚注
[編集]- ^ 知取町役場土曜会40周年記念誌 ふれっぷ p.216((樺太)知取町役場土曜会・編 (樺太)知取町役場土曜会 1988年)より。
- ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
- ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1692