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布施欽吾

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布施 欽吾(ふせ きんご、1903年2月13日[1] - 1971年3月8日[2])は、日本の漢学者教育者中央大学文学部教授[3]立教大学文学部教授[4]

人物・経歴

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千葉県出身[1]。1928年(昭和3年)東京帝国大学文学部卒業[1]。1929年(昭和4年)4月に、立教大学文学部教授に就任し、漢文を担当する[4]

戦後、1949年(昭和24年)より中央大学文学部教授を務め[1]、1952年(昭和27年)に文学部に哲学専攻が発足すると、中国哲学を教える[5]

1961年(昭和36年)5月1日には中央大学学生部長に就任[3]。1963年(昭和38年)11月、中央大学文学部長に就任[1]

1971年(昭和46年)3月8日、脳塞栓のため東京都杉並区荻窪の東京衛生病院で死去[2]

主な著作

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  • 『韓非子法術論と老子』中央大学文学部紀要8号,35頁-58頁,中央大学文学部,1957年3月

脚注

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録 第24版 下』人事興信所、1968年、ふ2頁。
  2. ^ a b 『斯文』第65号、斯文会、1971年6月、p.33。
  3. ^ a b 中央大学 年表データベース 『1961年5月1日』
  4. ^ a b 『立教大学新聞 第77号』 1929年(昭和4年)5月15日
  5. ^ 中央大学哲学専攻 『中大哲学科の歴史』 木田 元,哲学専攻クロニクル