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市瀬敬三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
市瀬 敬三郎
生誕 1872年1月29日
日本の旗 日本 兵庫県
死没 (1918-08-22) 1918年8月22日(46歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1892年 - 1918年
最終階級 陸軍少将
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市瀬 敬三郎(いちのせ けいさぶろう、1872年1月29日明治4年12月20日) - 1918年(大正7年)8月22日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将功四級[2]

経歴・人物

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市瀬亨介の三男として兵庫県に生まれる[3]。兄に内務省土木局技師などを歴任した市瀬恭次郎がいる[3]

1892年(明治25年)陸軍士官学校第3期卒業[1][2]1901年(明治34年)陸軍大学校第15期卒業[1][2]日露戦争では第3師団参謀を務めた[4]

1912年(大正元年)9月に陸軍歩兵大佐本郷連隊区司令官、1913年(大正2年)8月に歩兵第1連隊長、1916年(大正5年)8月に第6師団参謀長を経て、1917年(大正6年)8月に陸軍少将・歩兵第22旅団長に任官[1][2]。翌年、在官中に没した。

栄典

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親族

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脚注

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  1. ^ a b c d 『日本陸軍将官辞典』82頁。
  2. ^ a b c d 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』104頁。
  3. ^ a b 『人事興信録』第4版、い67頁
  4. ^ 多紀、氷上人名鑑 1933, pp. 318–320.
  5. ^ 『官報』第1526号「叙任及辞令」1917年9月1日

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第4版、人事興信所、1915年。
  • 『多紀、氷上人名鑑』篠山新聞社、1933年。