市瀬敬三郎
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市瀬 敬三郎 | |
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生誕 |
1872年1月29日 日本 兵庫県 |
死没 | 1918年8月22日(46歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1892年 - 1918年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
市瀬 敬三郎(いちのせ けいさぶろう、1872年1月29日(明治4年12月20日) - 1918年(大正7年)8月22日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴・人物
[編集]市瀬亨介の三男として兵庫県に生まれる[3]。兄に内務省土木局技師などを歴任した市瀬恭次郎がいる[3]。
1892年(明治25年)陸軍士官学校第3期卒業[1][2]。1901年(明治34年)陸軍大学校第15期卒業[1][2]。日露戦争では第3師団参謀を務めた[4]。
1912年(大正元年)9月に陸軍歩兵大佐・本郷連隊区司令官、1913年(大正2年)8月に歩兵第1連隊長、1916年(大正5年)8月に第6師団参謀長を経て、1917年(大正6年)8月に陸軍少将・歩兵第22旅団長に任官[1][2]。翌年、在官中に没した。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 人事興信所編『人事興信録』第4版、人事興信所、1915年。
- 『多紀、氷上人名鑑』篠山新聞社、1933年。