市川荒太郎 (2代目)
にだいめ いちかわ あらたろう 二代目 市川荒太郎 | |
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1923年(満30歳)の写真 | |
本名 | 市川 保之助 (いちかわ やすのすけ) |
別名義 | 市川 保太郎 (いちかわ やすたろう) |
生年月日 | 1892年11月23日 |
没年月日 | 1925年12月5日(33歳没) |
出生地 | 日本 大阪府大阪市西区新町南通3丁目28番地 |
死没地 | 日本 |
職業 | 俳優、歌舞伎役者 |
ジャンル | 歌舞伎、劇映画(時代劇、剣戟映画、サイレント映画) |
活動期間 | 1897年 - 1925年 |
配偶者 | 東愛子(市川たま) |
著名な家族 |
四代目市川荒五郎 (父) 三代目市川荒太郎 (弟) |
主な作品 | |
『黒法師』 |
にだいめ いちかわ あらたろう 二代目 市川 荒太郎 | |
1920年代の写真。 | |
屋号 | 三河屋 |
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定紋 | 丸に算木 |
生年月日 | 1892年11月23日 |
没年月日 | 1925年12月5日(33歳没) |
本名 | 市川 保之助 (いちかわ やすのすけ) |
襲名歴 | 1. 市川保太郎 2. 二代目市川荒太郎 |
俳名 | 眼童 |
出身地 | 大阪府大阪市西区新町南通3丁目28番地 |
父 | 四代目市川荒五郎 |
兄弟 | 三代目市川荒太郎 |
妻 | 東愛子(市川たま) |
当たり役 | |
『妙心寺』の初菊 『木村長門守』の長門守 『酒屋』のおその 『すしや』の権太 | |
二代目 市川 荒太郎(いちかわ あらたろう、1892年11月23日 - 1925年12月5日)は、日本の俳優、歌舞伎役者、元子役である[1][2][3][4][5][6][7]。本名市川 保之助(いちかわ やすのすけ)[2][4]、旧芸名市川 保太郎(いちかわ やすたろう)[1][4]。サイレント映画の時代、映画界に招かれて主演した剣戟スター「市川荒太郎」は、荒太郎三代のうち、この人物を指す[5][6]。
人物・来歴
[編集]1892年(明治25年)11月23日、大阪府大阪市西区新町南通3丁目28番地(現在の同府同市同区新町)に生まれる[1][2][3][4]。父(養父)は先代の初代荒太郎であった四代目市川荒五郎(1861年 – 1930年[8])[1][2]、弟は映画俳優市川玉太郎として知られる初代荒太郎の長男、のちの三代目市川荒太郎(1912年 – 1948年)である[9]。本名については、初期文献である『人気役者の戸籍調べ』(1919年)には「市川浩三」と記されている[1]。
幼少のころから芸道を学び、数え年6歳になった1897年(明治30年)、大阪・弁天座での『鈴木主水』に出演し、主演の四代目嵐璃珏の息子磯松役を演じ、「市川 保太郎」の名で初舞台を踏む[1][2][4]。以降、父・荒太郎に従って弁天座で引き続き修業したが、数え年12歳になる1903年(明治36年)に一度、引退を考える[2]。しかしながら、父・荒太郎が1906年(明治39年)9月に四代目市川荒五郎を襲名[8]、数え年16歳になった1907年(明治40年)9月、弁天座で七代目市川團藏、四代目嵐璃珏、嵐巌笑、四代目片岡我童(のちの十二代目片岡仁左衛門)、六代目嵐吉三郎らの一座において、『妙心寺』の初菊役を務め、このとき、二代目 市川 荒太郎を襲名した[1][2][3]。日本舞踊については、若柳吉左衛門、楳茂登扇性に学んだという[1]。1923年(大正12年)に発行された『現代俳優名鑑』によれば、同年当時は大阪市南区天王寺北山町5460番地(現在の同市天王寺区上之宮町)に妻や使用人たちと住み、定期的に出演していた劇場は大阪・角座であった[2]。崇拝するものはとの問いに、ナポレオン・ボナパルトと石川五右衛門、と答えた[2]。同年、林誠之助が荒太郎に入門している[10]。
1924年(大正13年)2月25日、弟子の林誠之助らとともに松竹キネマに入社、下加茂撮影所に所属する[3][10]。同撮影所はヘンリー小谷も同時期に招き、荒太郎・東愛子夫妻をキャスティングして『黒法師』を製作、同年4月23日に公開したが、単純な活劇と評価され、興行的には振るわなかった[3][11]。同年7月、松竹蒲田撮影所から所長の野村芳亭らが現れ、下加茂の改革を行った[11]。荒太郎は同年末、同社を退社、弟子の林誠之助は蒲田に異動している[10]。『裸にした映画女優』によれば、「愛妻の愛子と離れては絶対に芝居が出來ない」と発言していたといい、「近代人なる哉」と評されている[3]。
松竹退社の1年後にあたる、1925年(大正14年)12月5日、死去した[4]。満33歳没。
日本映画データベースによれば、二代目没後1926年(大正15年)に、帝国キネマ演芸小坂撮影所で「市川荒太郎」の出演記録があるが[5]、これは生前に撮影されていたものか、詳細は不明である。市川玉太郎が三代目市川荒太郎を襲名したのは、1941年(昭和16年)2月のことである[9]。2013年(平成25年)4月、二代目が出演した『千本桜・すし屋』を収録したCD『歌舞伎名優名場面集 SP原盤復元 4』が、日本コロムビアから発売された[12]。
フィルモグラフィ
[編集]クレジットは、すべて「出演」である[5][6]。公開日の右側には役名[5][6]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[13][14]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。資料によってタイトルの異なるものは併記した。
松竹下加茂撮影所
[編集]すべて製作は「松竹下加茂撮影所」、配給は「松竹」、すべてサイレント映画である[5][6]。
- 『黒法師』 : 総指揮白井信太郎、監督ヘンリー小谷、脚本犬塚稔、共演東愛子・市川升童、1924年4月23日公開 - 主演
- 『恋の友禅』[5][6](『鶴吉と其兄』[5][6]) : 監督枝正義郎、原作岡本綺堂、脚本内田徳司、共演東愛子、1924年5月11日(8月1日[6])公開 - 幸太郎(主演)
- 『千鳥啼く夜』 : 監督ヘンリー小谷、脚本鈴木篤、共演東愛子・中村太郎、1924年5月21日(4月10日[6])公開 - 主演
- 『汀の桜』 : 監督ヘンリー小谷、脚本食満南北、共演東愛子、1924年5月21日(5月8日[6]/5月20日[6])公開 - 主演
- 『鳥羽の恋塚』 : 監督枝正義郎、脚本内田徳司、共演東愛子、1924年5月31日(5月21日[6])公開 - 主演
- 『冬木心中』 : 監督枝正義郎、原作額田六福、脚本犬塚稔、共演東愛子、1924年6月20日(6月5日[6])公開 - 大和家平太郎(主演)
- 『闇の人々』 : 監督枝正義郎、脚本内田徳司、共演東愛子、1924年7月1日公開 - 主演
- 『樽屋おせん』 : 監督枝正義郎、原作井原西鶴、脚本内田徳司、共演東愛子、1924年7月10日公開 - 主演
- 『牡丹燈籠』 : 監督賀古残夢、脚本内田徳司、主演中村吉蔵、1924年7月20日公開 - 下男伴蔵
- 『五大力』 : 監督枝正義郎、脚本食満南北、共演東愛子、1924年7月31日(8月1日[6])公開 - 主演
- 『祐天吉松』 : 監督賀古残夢、脚本食満南北、共演東愛子、1924年8月10日(8月7日[6])公開 - 主演
- 『権八と小紫』 : 監督枝正義郎、原作大森痴雪、脚本犬塚稔、主演實川延松、1924年8月21日(8月14日[6])公開 - 幡随院長兵衛
- 『高野長英』 : 監督賀古残夢、脚本犬塚稔、1924年9月2日(8月28日[6])公開 - 主演
- 『実説 河内山宗俊』(『河内山』[6]) : 監督枝正義郎、脚本食満南北、共演東愛子、1924年10月21日(10月1日[6])公開 - 主演
- 『おくみと法界坊』 : 監督賀古残夢、脚本食満南北、共演東愛子、1924年12月1日公開 - 主演
帝国キネマ演芸小坂撮影所
[編集]すべて製作は「帝国キネマ演芸小坂撮影所」、配給は「帝国キネマ演芸」、すべてサイレント映画である[5]。
- 『大前田と高崎の勇次郎』 : 監督山下秀一、脚本沢田晩紅、主演尾上紋十郎、1926年4月10日公開 - 湊名の石松
- 『権八最後の義刃』 : 監督・脚本河合勝久、原作大江華天、主演中村小福、1926年9月30日公開
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 高沢[1919], p.19.
- ^ a b c d e f g h i 名鑑[1923], p.3.
- ^ a b c d e f 泉沢[1925], p.9-11.
- ^ a b c d e f 市川荒太郎、jlogos.com, エア、2013年7月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 市川荒太郎、日本映画データベース、2013年7月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 市川荒太郎、日本映画情報システム、文化庁、2013年7月1日閲覧。
- ^ 市川荒太郎、allcinema, 2013年7月1日閲覧。
- ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus『市川荒五郎(4代)』 - コトバンク、2013年7月1日閲覧。
- ^ a b 国立[2004], p.560.
- ^ a b c キネマ旬報社[1979], p.467.
- ^ a b 田中[1957], p.62.
- ^ 歌舞伎名優名場面集 SP原盤復元 4、国立国会図書館、2013年7月1日閲覧。
- ^ 所蔵映画フィルム検索システム、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年7月1日閲覧。
- ^ 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年7月1日閲覧。
参考文献
[編集]- 『人気役者の戸籍調べ』、高沢初風、文星社、1919年
- 『現代俳優名鑑』、揚幕社、1923年8月5日
- 『裸にした映画女優』、泉沢悟朗、日本映画研究会、1925年
- 『日本映画発達史 II 無声からトーキーへ』、田中純一郎、中央公論社、1957年 / 中公文庫、1976年1月10日 ISBN 4122002966
- 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年10月23日
- 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月、ISBN 4816915133
- 『近代歌舞伎年表 京都篇 第10巻 昭和十一年-昭和十七年』、国立劇場調査養成部調査資料課近代歌舞伎年表編纂室、八木書店、2004年5月 ISBN 4840692327