工藤嘉七
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工藤 嘉七(くどう かしち、前名・嘉治[1]、1913年(大正2年)6月[2] - 没年不明)は、日本の地主[2]、家主[1]、商人(海陸物産商[3]、米穀商[4])、工藤合資代表社員[5][6]。族籍は北海道平民[3][4]。
人物
[編集]北海道・工藤嘉七の六男[2][4][6]。亀井喜一郎の甥[4]。家督を相続し前名・嘉治を改め襲名した[4]。海陸物産商[3]、米穀商を営み[4]、地主として知られた[2]。北海道在籍[2]。住所は北海道函館市元町[5][6]。
家族・親族
[編集]- 工藤家
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』北海道21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第9版』ク4頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月23日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第6版』く14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第7版』く3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月23日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第11版 上』ク3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年1月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第12版 上』ク3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月12日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。