川原新治
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基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市鶴見区 |
生年月日 | 1962年2月5日(62歳) |
身長 体重 |
178 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1983年 ドラフト4位 |
初出場 | 1984年6月29日 |
最終出場 | 1986年6月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ歴 | |
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この表について
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川原 新治(かわはら しんじ、1962年2月5日 - )は、大阪府大阪市鶴見区[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]太成高から大阪商業大学へ進学。関西六大学野球リーグでは、同期の清川栄治との二本柱で1982年春季リーグから3連覇を果たす。同年春季から秋季リーグにかけ、現在でもリーグ記録である7試合連続完封勝利と77イニング連続無失点を記録した[1]。同年の明治神宮大会は決勝で東海大に2-3で惜敗するが準優勝と健闘。翌1983年秋季リーグでは、リーグ再編後初のノーヒットノーランを達成した。3季連続で最優秀選手に選ばれ、4年春はベストナイン。リーグ通算48試合に登板し23勝8敗、防御率0.97。
1983年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから4位指名を受け入団[1]。
1984年9月に一軍初勝利をあげ、ウエスタンリーグでも6勝5敗、防御率2.14と実績を積む。
1985年には抑え投手にと期待されていたが、今ひとつ球威が足りずあまり活躍できなかった。同年7月のヤクルト戦で初の先発に起用される。
1987年限りで現役を引退。
アンダースローの技巧派で球速はないが、切れの良いカーブ、シュート、シンカーを武器にしていた。
引退後は、1988年から2008年まで阪神で打撃投手を務めた(1989年のみ二軍コーチ兼任)。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1984 | 阪神 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 37 | 9.2 | 7 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1.86 | 0.93 |
1985 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 47 | 10.0 | 12 | 3 | 6 | 0 | 1 | 8 | 0 | 0 | 6 | 6 | 5.40 | 1.80 | |
1986 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 12 | 3.1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 2.70 | 0.60 | |
通算:3年 | 21 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 96 | 23.0 | 21 | 3 | 8 | 0 | 1 | 11 | 0 | 0 | 9 | 9 | 3.52 | 1.26 |
背番号
[編集]- 46 (1984年 - 1987年)
- 96 (1989年 - 1990年)
- 98 (1991年 - 1993年)
- 105 (1994年 - 2008年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 川原新治 - NPB.jp 日本野球機構