川原新次郎
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川原新次郎 かわはら しんじろう | |
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生年月日 | 1917年10月28日 |
出生地 |
日本 鹿児島県揖宿郡喜入町 (現・鹿児島県鹿児島市) |
没年月日 | 1995年12月4日(78歳没) |
出身校 |
鹿児島県立鹿屋農学校 (現・鹿児島県立鹿屋農業高等学校) |
所属政党 |
(無所属→) 自由民主党 |
称号 |
従四位 勲二等瑞宝章 |
選挙区 | 鹿児島県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1980年7月8日 - 1992年7月7日 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1965年5月 - 1975年3月 |
鹿児島県議会議員 | |
当選回数 | 2回 |
川原 新次郎(かわはら しんじろう、1917年10月28日[1] - 1995年12月4日[1])は、日本の政治家。参議院議員(2期、自由民主党)。
来歴
[編集]鹿児島県揖宿郡喜入町[1]大字瀬々串(現在の鹿児島市喜入瀬々串町)出身[2]。1937年鹿屋農卒[1][3]。鹿児島県議会議員を2期務めた後[3]、1965年5月から1975年3月まで喜入町長を3期務めた[4]。町長時代は町内に日本石油基地を誘致した[3]。
1975年鹿児島県知事選挙
[編集]同年の鹿児島県知事選に立候補したが、現職の金丸三郎に大差で敗れて落選した[5]。
※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
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金丸三郎 | - | 自由民主党 | 現 | 645,304票 | 71.8% | - |
川原新次郎 | - | 無所属 | 新 | 179,617票 | 20.0% | - |
久留義蔵 | - | 日本共産党 | 新 | 73,542票 | 8.2% | - |
1980年の第12回参議院議員通常選挙に鹿児島県選挙区から立候補して初当選[6]。1988年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲八等からの昇叙)[7][8]。2期務め、1992年に引退。1995年12月4日死去、78歳。死没日をもって従四位に叙される[9]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』163頁。
- ^ 喜入町郷土誌編集委員会 2004, p. 270.
- ^ a b c 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』287頁。
- ^ 『喜入町郷土誌』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『全国首長名簿 : 社・共・公・民関係分 2号(1975年版) (研究所資料 ; no.3)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『朝日選挙大観』614頁。
- ^ 「川原 新次郎」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』 。コトバンクより2022年12月24日閲覧。
- ^ 『官報』号外第53号4頁 昭和63年4月30日号
- ^ 『官報』第1800号8-9頁 平成7年12月26日号
参考文献
[編集]- 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
- 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
- 喜入町郷土誌編集委員会『喜入町郷土誌 補強改訂版』喜入町、2004年 。
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