崇法院
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崇法院(すうほういん、慶長7年(1602年) - 明暦2年9月17日(1656年11月3日))は、熊本藩第2代藩主加藤忠広の正室。会津藩主蒲生秀行の娘。母は徳川家康の三女・振姫。名は依姫、琴姫。子に加藤光広がいる。
慶長18年(1613年)2月15日に伯父である徳川秀忠の養女となり、翌慶長19年(1614年)4月15日に加藤忠広に嫁いだ。
寛永9年(1632年)に夫が改易された際には、出羽国への配流には同行せず、以後は京都にて暮らした。
2年後の寛永11年(1634年)には弟の蒲生忠知の死により、実家の伊予松山藩蒲生家までも改易となっている。
明暦2年(1656年)に死去した。享年55。京都の本圀寺に葬られた。
参考文献
[編集]- 幕府祚胤伝(『徳川諸家系譜』第2巻)続群書所類聚刊行会