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島津 信夫(しまづ のぶお、1893年(明治26年)1月3日 - 1990年(平成2年)1月4日[1])は大正から昭和期の海軍軍人。正五位勲三等。最終階級は海軍大佐[2]。
江田島海軍兵学校42期(大正2年・龍野中)。連合艦隊司令部付。中華民国国民政府軍事顧問。中華民国水路測量局軍事顧問。大日本武徳会弓道範士。播磨島津氏第29代当主。母は加西郡賀茂村山下(現在の加西市北条町山下)の中川八郎左衛門邦守の娘で、中川清秀の一族である。元阪神タイガースオーナー野田誠三の生家は中川家で、信夫の従兄弟である。
同族の島津家宗家第30代当主・島津忠重(海軍少将、公爵)は海軍兵学校35期生(明治40年)で、信夫の先輩にあたる。忠重は第一艦隊軍艦香取から信夫に海軍兵学校入学祝いの手紙を送っている。忠重からは相当の手紙をもらったが、ほとんど人に贈ったり失くしたりしたようである。しかし、この入学祝の手紙だけは終生大事に保管したという。
- ^ a b 『現代物故者事典 1988~1990』(日外アソシエーツ、1993年)p.320
- ^ 『井上成美』「球磨航海長時代」
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宗家 |
忠久????-1227 | 忠時1227-1265 | 久経1265-1284 | 忠宗1284-1318 | 貞久1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂
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総州家 |
師久1363-1376 | 伊久1376-1404 | 守久1404-???? | 久世????-1417 | 久林1417-1430 | 断絶
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奥州家 |
氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-2024 | 忠裕2024-
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越前家 | |
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播磨家 | |
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伊作家 |
久長1281-1317 | 宗久1317-1354 | 親忠1354-1371 | 久義1371-1422 | 勝久1422-1433 | 教久1433-1442 | 犬安丸1442-1458 | 久逸1458-???? | 善久????-1494 | 忠良1494-1526 | 相州家相続
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薩州家 |
用久????-1459 | 国久1459-1498 | 成久1498-???? | 忠興????-1525 | 実久1525-1553 | 義虎1553-1585 | 忠辰1585-1595 | 断絶
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相州家→ 垂水家 | |
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豊州家 | |
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玉里家 |
久光1871-1887 | 忠済1888-1915 | 忠承1915-1990 | 忠広1990-現在
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加治木家 | |
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佐土原家 |
忠興1610-1637 | 久雄1637-1663 | 忠高1663-1676 | 久寿1676-1690 | 惟久1690-1723 | 忠雅1723-1753 | 久柄1753-1785 | 忠持1785-1816 | 忠徹1816-1839 | 忠寛1839-1896 | 忠亮1896-1909 | 忠麿1909-1926 | 久範1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在
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重富家 | |
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和泉家→ 今和泉家 | |
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宮之城家 | |
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永吉家 | |
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日置家 | |
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北郷氏→ 都城家 | |
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佐多氏→ 知覧家 | |
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