岸本康通
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岸本 康通(きしもと やすみち、1878年〈明治11年〉3月23日[1] - 1930年〈昭和5年〉9月19日[2])は、衆議院議員(立憲政友会[2])、宇治山田市(現在の伊勢市)市長。
経歴
[編集]岡山県和気郡山田村(現在の和気町)出身。1902年(明治35年)に日本大学を、1904年(明治37年)に法政大学を卒業した[3]。法政大学卒業の前年に判検事登用試験に合格し、司法官試補、東京地方裁判所検事、陸軍法官部理事、関東都督府理事、第11師団法官部長、大阪府警視、群馬県警察部長、佐賀県内務部長、三重県内務部長を歴任した[3]。1921年(大正10年)、宇治山田市長に就任し、1924年(大正13年)まで在任した[4]。退任後は、弁護士業務に従事した。
1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。その他、名古屋土地株式会社・中村電気軌道株式会社・三重工業株式会社の取締役を務めた[2]。墓所は多磨霊園。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。
外部リンク
[編集]- 『岸本康通』 - コトバンク
- 『岸本 康通』 - コトバンク
- 岸本康通 (第4版) - 『人事興信録』データベース
- 岸本康通 (第8版) - 『人事興信録』データベース
- 岸本康通 - 歴史が眠る多磨霊園