岩男三郎
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(岩男内蔵允から転送)
岩男 三郎(いわお さぶろう、1851年6月8日(嘉永4年5月9日)[1] - 1909年(明治42年)7月15日)は、幕末期の肥後熊本藩士、維新後は官吏、各県知事などを歴任した。
経歴
[編集]熊本城下坪井で、熊本藩士・岩男伝之允の三男として生まれる。藩校時習館で学ぶ。横井小楠の高弟で、幕末期には野々口為志、鵜殿豊之進、横井左平太、横井忠平らと交わり、勝海舟の神戸海軍操練所で航海術を学び、長崎に遊学、熊本藩の洋学所管術となる。
維新後は福澤諭吉に師事して慶應義塾に入学[2]、卒業後の明治3年(1870年)、民部省監督権正となり東北に派遣される。山形県大参事となったが罷免される。明治5年(1872年)、熊本藩主細川護久の弟・長岡護美の従者としてアメリカに留学。
帰国後、1878年(明治11年)、司法省に入り東京裁判所詰となる。以後、同裁判所判事補、制度取調局御用掛などを歴任。1886年(明治19年)、三重県書記官に就任し、静岡県・愛知県の各書記官を務めた。1896年(明治29年)、秋田県知事。のち福井県知事、宮崎県知事、徳島県知事を歴任。1908年7月27日、休職満期となり退官した[3]。
1909年(明治42年)4月5日に錦鶏間祗候に任ぜられる[4]。晩年は横井小楠の顕彰を率先して行った。
栄典
[編集]- 位階
- 1891年(明治24年)12月26日 - 従六位[5]
- 1896年(明治29年)12月25日 - 正五位[6]
- 1902年(明治35年)10月31日 - 従四位[7]
- 1908年(明治41年)9月30日 - 正四位[8]
- 勲章等
- 1897年(明治30年)6月26日 - 勲五等瑞宝章[9]
- 1898年(明治31年)12月28日 - 勲四等瑞宝章[10]
- 1903年(明治36年)12月26日 - 勲三等瑞宝章[11]。
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲二等旭日重光章[12]
脚注
[編集]- ^ 参考文献『日本の歴代知事』第3巻上、473頁。
- ^ 『慶應義塾入社帳 第1巻』50頁、163頁。
- ^ 『官報』第7528号、明治41年7月30日。
- ^ 『官報』第7730号、明治42年4月6日。
- ^ 『官報』第2550号「叙任及辞令」1891年12月28日。
- ^ 『官報』第4050号「叙任及辞令」1896年12月26日。
- ^ 『官報』第5800号「叙任及辞令」1902年11月1日。
- ^ 『官報』第7581号「叙任及辞令」1908年10月1日。
- ^ 『官報』第4196号「叙任及辞令」1897年6月29日。
- ^ 『官報』第4651号「叙任及辞令」1899年1月4日。
- ^ 『官報』第6148号「叙任及辞令」1903年12月28日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
参考文献
[編集]- 『慶應義塾入社帳 第1巻』福澤諭吉研究センター(編)、慶應義塾、1986年。
- 『日本の歴代知事』第3巻上、歴代知事編纂会、1982年。
- 小楠公園(しょうなんこうえん)熊本市 - 熊本県庁