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岩村田ヒカリゴケ産地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩村田ヒカリゴケ産地。画像中央のフェンスのある洞穴の内部が天然記念物の指定地。2022年6月10日撮影。

岩村田ヒカリゴケ産地(いわむらだヒカリゴケさんち)は、長野県佐久市岩村田上ノ城にある小規模な洞穴内部に生育する、国の天然記念物に指定されたヒカリゴケ(光蘚)の自生地である[1][† 1]

ヒカリゴケ(光蘚 学名Schistostega pennata (Hedw.) F.Weber et D.Mohr[2])は、ヒカリゴケ科ヒカリゴケ属の原始的なコケ植物で、北半球北部の寒冷な地域を中心に分布し、直射日光の乏しい洞窟石垣の隙間などに生育して黄緑色に光るコケとして知られているが、かつては一般的にあまり知られていない珍しいコケであった。

岩村田のヒカリゴケ産地は、日本国内ではじめてヒカリゴケの生育が確認された場所である。発見されたのは1910年明治43年)のことで、当時の旧制野沢中学校(現在の長野県野沢北高等学校)の生徒が、通学途中にある崖に空いた小さな洞窟内に「光る土」を見つけ採集したものが、同校教諭の小山海太郎を通じ植物学者三好学へ鑑定が依頼され、その結果「ヒカリゴケであると日本国内で最初に同定された[2][3]」記念的な場所であることから、日本の蘚苔学者の間では歴史的な生育地として知られており、1921年大正10年)3月3日に国の天然記念物に指定された[1][4][5][6]

解説

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岩村田ヒカリゴケ産地の位置(長野県内)
岩村田 ヒカリゴケ 産地
岩村田
ヒカリゴケ
産地
岩村田ヒカリゴケ産地の位置
岩村田ヒカリゴケ産地周辺の空中写真。
岩村田の市街地を載せる河岸段丘の段丘崖に位置している。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。(1975年9月25日撮影の画像を使用作成)

岩村田のヒカリゴケ産地として国の天然記念物に指定されているのは、長野県東部の佐久市岩村田地区を流れる湯川右岸に形成された河岸段丘を縁取る段丘崖に洞口を開けた、通称千畳敷と呼ばれる小規模な洞穴である。この場所は佐久市の中心市街地でもある岩村田地区市街地にほど近い場所で、洞穴上部の段丘面上には佐久市立岩村田小学校が隣接して所在し、周辺一帯は住宅や畑地などが広がっている。天然記念物に指定されている洞穴は、幅員の狭い市道沿いを流れる常木堰(つねきぜき)と呼ばれる用水路に隣接する、南東側に面した小さなに洞口を開けている[7]

今日ではヒカリゴケ保護のため、洞口には鉄製のフェンスが設けられているが、フェンスの隙間越しにヒカリゴケを肉眼で観察することが可能である。この洞穴は入口の間口約2 m(メートル)、奥行き約7 m、高さ約1.5 m、面積は約40 m2平方メートル)という小規模なものであるが、ここは日本国内で最初にヒカリゴケの自生が確認、同定された場所として知られている[4][3]

ヒカリゴケは北半球北部の寒冷な地域を中心に分布し、植物学会で最初に確認されたのは1780年頃にイギリスの学会で報告されたものとされており[8]、その後もドイツでの自生報告や[9]1863年にはオーストリアの植物学者アントン・ヨーゼフ・ケルナーによる報告[10]など、ヨーロッパを中心として生育が確認されていたが、日本国内では確認されておらず一般に知られるコケではなかった[9]

岩村田ヒカリゴケ産地が発見された経緯は、1910年明治43年)の春、当時の旧制野沢中学校(現在の長野県野沢北高等学校)の生徒が、通学途中にある現指定地の崖にある洞窟内で「光る土」を見つけたことがきっかけであった。生徒は光る土を採集すると学校へ届けると、これを見た同校教諭の小山海太郎は採取されたコケを含む土壌植物学者三好学東京帝國大学教授)へ送付し鑑定を依頼した。三好はこれを培養する等の検証を重ね調査し、その結果「ヒカリゴケ」であると同定した[9]。三好はヨーロッパ諸国や北米に見られる[11]ヒカリゴケが、これまで日本国内では発見や報告事例がなかったことを承知しており、このヒカリゴケの同定により、岩村田の小さな洞窟は日本国内で最初にヒカリゴケの生育が確認された場所として学会へ報告された[9]

三好は1912年大正元年)10月初旬にはじめて岩村田の現地を訪れヒカリゴケの生育状況を確認し、翌1913年(大正2年)6月には紀州徳川家第15代当主で貴族院議員、史蹟名勝天然記念物保存協会会長でもあった徳川頼倫とともに再度、岩村田の現地を訪れ視察、調査を行っており[12]1919年(大正8年)に史蹟名勝天然紀念物保存法が制定された後[† 2]、岩村田光蘚産地として1921年(大正10年)3月3日に国の天然記念物に指定された[1][4][11][13]。なお、天然記念物は旧内務省の所管であったが、1928年昭和3年)に文部省に移管され、同年9月6日に文部省により岩村田の生育地の現状視察が行われ、ヒカリゴケの保存状況および生育状況は良好であったという[14]

指定地の洞穴は佐久市教育委員会の文化振興課文化財保護事務所により、2016年平成28年)10月から週に1回、ヒカリゴケの繁殖状況や、洞内に設置された電気式の温度計および湿度計による観測が実施されている。ヒカリゴケの生育には気温だけでなく湿度が重要な環境要因であるが、佐久市による観測の結果、岩村田ヒカリゴケ産地の洞穴内部は、特に春から秋にかけての湿度が80 %(パーセント)から90 %というヒカリゴケの生育に適した環境であることが改めて確認されるなど、佐久市により繁殖状況の確認、洞穴内外の管理や保護が継続的に行われている[15]

交通アクセス

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所在地
長野県佐久市岩村田字上ノ城2631、2672、2677[13]
交通
JR東日本小海線岩村田駅下車徒歩約25分[16]
上信越自動車道佐久インターチェンジから約2キロメートル、車で約5分[16]

脚注

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注釈

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  1. ^ 現地に設置された看板等では単に「岩村田ヒカリゴケ」あるいは「岩村田ヒカリゴケ自生地」と表記されるものもあるが、本記事名は文化庁データベースに記載され、国土地理院の発行する2万5千分1地形図(小諸図幅)にも文部省の告示に基づき記載されている「岩村田ヒカリゴケ産地」とする。
  2. ^ 当時は天然念物と表記されていた。1950年(昭和25年)施行の文化財保護法によって天然念物と表記されるようになった。

出典

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  1. ^ a b c 岩村田ヒカリゴケ産地(国指定文化財等データベース) 文化庁ウェブサイト、2022年6月19日閲覧。
  2. ^ a b 中庭 (1984), p. 189.
  3. ^ a b 佐久市教育委員会 (2002)、巻頭図版4。
  4. ^ a b c 和田 (1995), p. 603.
  5. ^ 本田 (1957), p. 9.
  6. ^ 文化庁文化財保護部 (1971)、p.79。
  7. ^ 三好 (1921), p. 4.
  8. ^ 長野県教育委員会 (1977)、p.67。
  9. ^ a b c d 三好 (1921), p. 5.
  10. ^ Edwards, Sean R. (2012). English Names for British Bryophytes. British Bryological Society Special Volume. 5 (4th ed.). Wootton, Northampton: British Bryological Society. ISBN 978-0-9561310-2-7. ISSN 0268-8034 
  11. ^ a b 岩月 (1977), p. 65.
  12. ^ 三好 (1921), p. 6.
  13. ^ a b 内務省告示第三十八號」『官報』第2573号、印刷局、66-75頁、1921年3月3日https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954688/2 
  14. ^ 文部省 (1929)、p.24。
  15. ^ おうちで社会科見学 - 岩村田ヒカリゴケ産地 佐久市役所公式ホームページ、2022年6月19日閲覧
  16. ^ a b 岩村田ヒカリゴケ自生地 GoNAGANO 長野県公式観光ガイド 一般社団法人 長野県観光機構、2022年6月19日閲覧

参考文献・資料

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関連項目

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  • 国の天然記念物に指定された他のコケ類は植物天然記念物一覧#コケ植物節を参照。
    • コケ植物を対象とした国指定の天然記念物は、ミズスギゴケ1件、ヒカリゴケ3件、チャツボミゴケ1件、以上5件のみである。

外部リンク

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座標: 北緯36度16分0.5秒 東経138度29分4.1秒 / 北緯36.266806度 東経138.484472度 / 36.266806; 138.484472