岩尾峠
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岩尾峠 | |
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岩尾峠 | |
所在地 |
日本 滋賀県甲賀市、三重県伊賀市 |
座標 | 北緯34度53分3.926秒 東経136度08分8.873秒 / 北緯34.88442389度 東経136.13579806度座標: 北緯34度53分3.926秒 東経136度08分8.873秒 / 北緯34.88442389度 東経136.13579806度 |
標高 | 290 m |
山系 | 鈴鹿山脈 |
プロジェクト 地形 |
岩尾峠(いわおとうげ)は、滋賀県甲賀市甲南町杉谷と三重県伊賀市槇山を結ぶ峠。標高は290m。
1336年(建武5年)3月、北朝の小佐治基氏・国氏等と、信楽側から来た南朝の軍との戦場となった。
この峠は近くの息障寺への信仰とかかわり、近江と伊賀を分けるのではなく地域のつながりを強めていた。
岩尾山息障寺
[編集]縁起によると最澄が延暦寺の建立のため、岩尾山に材木を求めたところ、山の池に大蛇が棲みつき杣人の通行を妨げ、最澄が禁竜の法を唱えると大蛇は去り、木を刈り出すことができたと言われている。その恩に報いるため、霊岳に伽藍を建立し、池原延暦寺と称することになったと伝えられ、比叡山試みの寺とも言われている。
楼門近くの曼荼羅岩をはじめ、いたるところに巨石があり、古代の磐坐(いわくら)信仰の名残をとどめている。山岳宗教の聖地として栄え、また山伏・忍者の修練場であったと伝わる[1]。岩尾山に屏風状の巨岩に不動明王が彫刻されてあることから、息障寺は「岩尾不動」や「槇山不動」と呼ばれ、近江・伊賀にわたって広く信仰を集めた。
1385年(至徳2年)と近くに刻まれている磨崖地蔵菩薩坐像(市指定文化財)、作風から室町時代初期と考えられる磨崖不動明王立像(市指定文化財)がある他、山中には多数の石像が配置されている。また、松尾芭蕉の句碑「行く春を淡海の人とをしみける 翁」がある。
近くの名所
[編集]- 岩尾の一本杉 - 最澄が刺した箸が大きくなったと伝えられる。滋賀県指定の自然記念物[2]。
注釈
[編集]- ^ “山伏の修練場”. 忍びの里伊賀甲賀忍者協議会. 2019年9月24日閲覧。
- ^ “岩尾の一本杉/詳細:こころに残る滋賀の風景”. 滋賀県. 2019年10月31日閲覧。
参考文献
[編集]- 木村至宏『近江の峠道ーその歴史と文化ー』サンライズ出版、2007年、60-63頁