岩元禧
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岩元 禧(いわもと き、1879年(明治12年)7月2日[1] - 1944年(昭和19年)9月14日[2])は、日本の内務官僚。官選沖縄県知事、鹿児島市長。
経歴
[編集]鹿児島県出身。士族の四男として生まれる。第七高等学校の第1回卒業生。1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、同年に高等文官試験に合格した[3]。内務省に入り、千葉県属、秋田県事務官、神奈川県理事官・視学官、香川県警察部長、島根県内務部長、茨城県内務部長を歴任[1][3]。1923年(大正12年)から翌年まで沖縄県知事を務めた。1926年(大正15年)6月23日、休職満期となり退官した[4]。
國學院大學・皇典講究所専務理事を経て、1933年(昭和8年)から1936年(昭和11年)まで第10代鹿児島市長を務めた。
著書
[編集]- 『皇祖発祥聖蹟』(1940年、鹿児島史談会)
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 高橋英夫『偉大なる暗闇 師岩元禎と弟子たち』新潮社、1984年
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版(上)』人事興信所、1934年。
- 竹内理三ほか 編纂『鹿児島県姓氏家系大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典46、角川書店、1994年。ISBN 4040024605。
公職 | ||
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先代 樺山可也 |
鹿児島市長 10代:1933 - 1936 |
次代 伊地知四郎 |