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岩倉具光

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岩倉 具光(いわくら ともみつ、旧字体岩倉具󠄁光1886年明治19年)9月2日[1] - 1960年昭和35年)6月26日[2][3])は、日本実業家大蔵大臣秘書官や、国際運送(現・日本通運)社長、京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄、法人としては阪急阪神ホールディングス)副社長等を歴任した。

人物・経歴

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父・具経の赴任地モスクワで生まれる[1]学習院を経て[4]、1908年に東京高等商業学校(現・一橋大学)を卒業する[5]

第2次桂内閣内閣総理大臣大蔵大臣桂太郎の大蔵大臣秘書官を務め、内閣総辞職後、2年間欧米で過ごした[5]

1921年に日本運送の監査役となる[6]。1923年阪神急行電鉄監査役[7]。1924年、国際運送の専務取締役に就任する。1926年には内国通運取締役となる。同年国際運送社長にも就任[6]

1931年から阪神急行電鉄取締役を務め、阪急百貨店を担当した[8]。また、大阪タイガース勧誘にも携わった[9]。1936年に阪神急行電鉄専務取締役となる。1943年に京阪神急行電鉄(阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併)が発足すると、翌年副社長となる[7]

この間、後藤圀彦河合良成とともに番町会を設立し[10][11]帝人事件の公判では証人も務めた[12]

岩田屋の大株主でもあった[13]。墓所は多磨霊園

親族

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子爵・岩倉具経の三男。太政大臣岩倉具視は祖父。妻・花は銀行家岩下清周長女。海軍中将鮫島具重は弟[5]古河電気工業社長や商工大臣を務めた中島久万吉男爵は義兄[14]

脚注

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  1. ^ a b 『大衆人事録 昭和3年版』イ89頁。
  2. ^ 「岩倉 具光氏(伊勢志摩国立公園開拓会社社長、元京阪神急行電鉄副社長)」『朝日新聞』1960年6月26日、5面。
  3. ^ 「岩倉 具光氏(伊勢志摩国立公園開発株式会社社長、福岡市岩田屋、岡山市天満屋デパート取締役)」『読売新聞』1960年6月27日、11面。
  4. ^ 湯本城川永い傳統の殻を破つて實業界に活躍する 國際運輸專務 岩倉具光/25『財界の名士とはこんなもの?. 第2巻』
  5. ^ a b c 「岩倉具光 (男性)」人事興信録データベース第8版 [昭和3(1928)年7月](名古屋大学大学院法学研究科
  6. ^ a b 日本通運(株)『社史』(1962.10)渋沢社史データベース
  7. ^ a b 「京阪神急行電鉄(株)『京阪神急行電鉄五十年史』(1959.06)」渋沢社史データベース
  8. ^ 小林一三「株主・重役・社員」『私の行き方』[要文献特定詳細情報]
  9. ^ 永井良和橋爪紳也『南海ホークスがあったころ』河出書房新社<河出文庫>、2010年、[要ページ番号]
  10. ^ 河合良成『帝人事件 30年目の証言』p26-32
  11. ^ 波多野勝「正力の支援と思惑」『日米野球史 - メジャーを追いかけた70年』PHP<PHP新書>、2001年、[要ページ番号]
  12. ^ 證人岩倉具光 ; 仝川久保修吉仝藤田國之助仝吉野信次仝佐和田一雄帝人事件公判速記録, 第220-221號
  13. ^ 大株主データ (株式会社年鑑 1950-1962) - 一橋大学経済研究所経済制度研究センター
  14. ^ 中島久萬吉 (男性)人事興信録データベース第8版 [昭和3(1928)年7月](名古屋大学大学院法学研究科)

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 昭和3年版』帝国秘密探偵社、1927年。
先代
中島久万吉
国際運送社長
1926年 - 1928年
次代
内国通運と合併